

コラム
「身辺雑記」

飯田敏勝
聖書通読会の、旧約三九・新約二七・計六六巻すべての書を開いて、その一部(代表的部分)を読んでいこうというコースが終りました。
既に新約は終わっていて、その後は使徒言行録を少しずつ、隈なく読み進めています。先週旧約全巻が終わったので、新たにゼカリヤ書を読み進めていきます。黙示表現が多いので、ただ読むだけだと戸惑うと思います。解説文を用意しました。希望者は小礼拝堂前にあるのでお持ちください。
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YouTubeの説教原稿を月毎に配っています。これも小礼拝堂前にあるので、ご自由にお持ちください。マルコによる福音書を通読する助けにもなろうかと思います。
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ひとりで黙々と聖書が読める方は、どんどん読まれたらいいと思います。神さまとの直接対話です。
しかし、言葉や内容を把握しきれず、思い乱れて、中々読めないのが凡人の実情だと思います。仲間と共々に、思ったことを何でも訊きながら読むのなら、礼拝前の通読会を活用いただければと思います。
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千葉はじめさんが先月、百歳の誕生日を迎えました。
アブラハムは百歳になって、なおそこから、神さまの約束の実現を身をもって表しました。どれほど高齢であっても、なお今から、神さまに用いられることがあるのだ――と、紀寿の方を前にすると、身に染みて実感しました。
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静岡県立美術館が月末に、ロダン館デッサン会を開催しています。先日初参加し、バルラハの彫刻『読書する僧たち』をひたすらスケッチしていました。ちょっと誤解を招きかねない邦題ですが、Monks(修道士)が読む本は、当然聖書ですよね。神学校の恩師とわたし自身とを重ね合わせながら描いていました。
ただ観るだけでなく、自分もアートを生み出しながら鑑賞すると、作品との対話が深まります。
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先週東海教区の伝道協議会が開催されました。講師は銀座教会の高橋潤先生。これまでも頼れる先輩牧師でしたが、おいたちなどを初めて聞いて、妙に腑に落ちる感がありました。
牧師の家に生まれ育ち、集会の案内など自然と伝道の業に携わっていたそうです。更に蒲原教会での具体的体験と、信仰告白や教理の説き明かし、ひいては日本基督教団という教会を形作るための労苦や戦いが、講演で語られていきました。
それらに芯がきちんと通っていて、同心円的に感じたのです。信仰による、神さまと高橋先生との間のつながりは確固たるものなのでしょう。異なる内容の諸々の事柄が、高橋先生の中では必然的につながっているようで、これが教会的に信頼に値する言葉なのだろうと思わされました。