コラム

「世は歌につれ」

飯田敏勝

 宮崎洋長老も言及していましたが、歌集『讃美歌21』では以前の讃美歌の歌詞や旋律に、変化が加えられている曲があまりにも多すぎます。これは、教会採択の讃美歌集を移行させるときに、困惑させます。それどころか日本人の作詞家の曲も、何の断りもなく歌詞を変更しているのは、著作権にも関わる由々しき問題です。

 歌詞も旋律も全く変えない曲は、あまりに少なく、『讃美歌21』がスタンダードになり切れない一因です。

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 『讃美歌21』を採用するなら、古い歌にはある程度決別する覚悟と、新しい歌を積極的に歌っていく意義を見出さねばなりません。

 エキュメニズムという世界教会運動の影響もあって、世界各地の讃美歌が『讃美歌21』には収録されています。21-125、21-276、21-480などは、オルガン以外の楽器も用いたほうがいい曲ですし、世界旅行をした気分になれるのではないでしょうか。

 また新しい20世紀の曲も収録しましたが、時代を遡って原曲に近い譜面で讃美するものもあります。

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 21-377「神はわが砦」は、宗教改革との関連でも讃美するルターの曲ですが、四拍子のⅠ-267番と違って戸惑われる旋律でしょう。

 草深でもぜひ歌いたい一曲に21-113「いかに幸いな人」があります。カルヴァンと一緒に讃美するためです。

 わたしたちの教会が改革派を志向し、プロテスタントの原点にして普遍的な教会を目指すのは、教理など頭の側面だけではありません。これらの讃美を共有することなしに、実現できるとは考えられません。

 わたしの世代が、嶋田さんのような上の世代のスタンダードを古色蒼然と感じるのは仕方ないと思います。しかし、その時代のあり様も考慮し、受け継いでいかねばならない面が確かにあるのです。

 16世紀の宗教改革期や、それ以前の中世や古代にも綿々と、神さまをほめたたえる生きた讃美が溢れていました。その流れの上に、わたしたちは教会を形作るのであって、今の自分の感覚で満足するだけでは、非常に貧弱なものになってしまいます。

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 わたし個人は、讃美歌集としての『讃美歌21』に相当批判的ですが、それでも用いていかねば、『讃美歌(1954年版)』の狭量さを乗り越えていけないと考えています。

 わたしの葬儀では、『こどもさんびか』、『讃美歌』、『讃美歌第二編』、『讃美歌21』から歌を選んで、わたしの信仰を形作った讃美を証ししたいと願っています。