コラム
「福音が伝わるために」

飯田敏勝
先週木曜、英和のチャペル奉仕がありました。聖書は使徒言行録16章25節。難しい手紙を書き、理路整然と福音を語り得るパウロが実は、歌すなわち音楽でも聞き手に伝わるものをきちんと発していた、というような話でした。
* * *
教会学校の教案誌で、使徒言行録16章16~40節があてがわれ、幼稚科・小学科向けのお話執筆と分級教案を作成しました。
少し長めの聖書範囲です。パウロたちがフィリピで、占いの女奴隷の霊を追い払い、その主人から訴えられ、投獄され……といった出来事一つ一つは分かるのですが、全部のエピソードを収めようとすると、子ども向けの説教としてはまとまりがなく、どうしようかと苦心しました。釈義を深め、〈自由〉を鍵語にして糸のように、大半のエピソードをビーズのようにして、つなぐことができました。
聖書通読会の新約で使徒言行録を読んでいますが、先日この箇所を扱いました。参考資料として、教案誌の原稿を配布していますので、関心のある方はお読みください。
* * *
分級教案はわたしの場合、Verbal(言語を用いる)なものと、Nonverbal(言語を用いない)なものとを作成します。今回、前者は「おはなし迷路(聖書の話を正しく追うと迷路を抜けられるもので、通読会の参考資料の裏に印刷してあります)」、後者は歌う(口の部分が動く)パウロができる紙工作にしました。
それを拡大して英和のチャペルに持っていき、説教の合間に実際パウロの口を動かしもしました。
* * *
礼拝説教は〈語り〉が基本。視聴覚教材を用いることには、議論を要します。ですが、冒頭にお伝えした内容なので、ちょっと逸脱しました。
パウロの歌を伴う祈りが囚人たちを聞き入らせたと叙述して、頭で理解してもらうことは簡単です。ですが、ある程度体感しないと、この聖書が本当に伝わったことにはならないかとも思います。
で、説教後の祈りは通常の形を変えて、讃美歌21-177「マニフィカート」をリコーダー演奏しました。録音しておいた伴奏と合わせ、同じ楽器での多重演奏的な音を響かせました。
* * *
驚きを伴い伝わったものは少なからずあるでしょうが、この牧師は芸人だと間違いなく思われているでしょうね。

