コラム

「思い巡らし、思い出す」

写真提供:安池倫成

飯田啓子

 主の年2025年があと数日で幕を閉じ、新しい2026年が開幕を控えています。皆さんにとって2025年はどんな一年でしたか?インマヌエルを響かせ合う一年でしたでしょうか?

 アドヴェントに入ってから一年前の12月を思い起こしています。召天するという神様の出来事が次々に起こり、それを受けいれるというより、ただただ静かに見聞きしていました。

 そして今年は55年前のクリスマスイヴを思い出します。当時5歳の幼稚園児だった私は、横浜の自宅から東京の教会のイヴ礼拝にこ行き、帰りがけに牧師から「キャロリングに行くからね」と声をかけられてワクワクしていました。

 礼拝後に帰宅(祖父母の家)して待っていると、一人だけ憮然とした表情の祖母が、絶対に受け入れない!と仁王立ちをしていました。

 55年前、祖父が紛争側神学生とやりとりしている最中に頭に血が上がり過ぎて倒れ、数週間後に召されてしまった。それで祖母は教会に躓き、一切に言葉も事柄も拒否。キャロリングはその年に慰めを届ける意味合いが大きかったのですが、祖母は断固拒否。5歳児の私は、「帰れ」「帰りません」、「歌うな」「歌います」のやり取りを眺めているだけでした。

 神様の出来事が起こる時、人に幸いや悲しみが沸き起ります。キャ ロリングは嬉しい人々だけじゃなく、悲しみ寂しさ怒りを感じている人々にも、インマヌエルの祝福を届けてくれます。そしてインマヌエルを響かせ合う人へと迎え入れてくれます。

 残念ながら祖母は最期まで躓いたままで響かせ合うことが出来ないままでしたが、復活の礼拝の暁にはそこにも仁王立ちした祖母がいるように思います。主の御心次第ですから祈るばかりですが。主よ、祖母を憐れみ、覚えていてください。

 そして2026年。献身して30年の年です。何をするのか残すのかと後ろ向きではなく、神の国へ行く希望と楽しみを増していく、止まるのが少ない歩みを続けながら、少しはマシになってきたことを感謝したいと願っています。