コラム

眩しい

牧師 飯田啓子

 季節外れの温かさと寒さが週ごとに繰り返される昨今。三寒四温を経て春に向かうようなリズムは何処に行ってしまったのかと首を捻ります。季節のリズムが狂ってきている現実を受け入れながら、どうかリズムに合わせられなくなった自分を責めずに労わってください。
 
 1月に入って二度ほど英和女学院のO校長に、校外で会いました。一回目は向こうの方から白く眩しいダウンジャケットを着て歩いている人は誰だろう?と目を凝らしてO校長と確認しました。二回目はその眩しい白さの理由を伺いました。夜でも安全に歩けるように白色+蛍光塗料が多めに入っている生地だそうです。

 眩しい白色に出会う前、1月第一主日、聖餐式が行われた時のことです。遠州栄光教会住吉会堂の聖餐式礼拝の奉仕を依頼されている関係で、草深では聖餐を預かっていますが、それを執行するのは久しぶりでした。

 配餐が終わり感謝の祈りを祈って顔を上げると、目に飛び込んできたのは眩しさでした。丁度、私の目の前というか、一番焦点が合う辺りに何時も座る方がいます。その方の表情がとても眩しく、輝いていました。ただただ見とれ、その場に居合わせることが出来たことと、やがてその場に入れてくださいと祈るばかりでした。地上の輝きではなく、天の輝きとそれに包み込まれる眩しさです。

 たぶん眩しく輝く表情をされた方も意識されていたのではないでしょう。受け入れられた安心と、自分の思いも何もない無心だったと思います。神様に包み込まれている安心や安堵が眩しかった、包み込む栄光が輝いていたのでしょう。

 イエス様の山上の変貌の時、その様子を最初に見たペトロは、どう言えば解らずに小屋を建てようと口にします。やがて復活のキリストに出会い、裁かれて赦され、キリストを伝える者へと新しくされました。自分で生きていた人がキリストの道、キリストに従う道を歩く眩しい人へとされて行きました。すべて神様の約束の言葉からはじまり、その中で鍛えられ、その言葉に終わる=迎え入れられる。最後まで安心し信頼して歩み続けたいと思います。