コラム
緩和対応
飯田敏勝
5月8日から新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染症法上の位置付けが5類感染症になりました。
前後して巷でもコロナ対応が変わってきていますが、静岡草深教会としての対応を先の長老会で協議しました。
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基本的には季節性インフルエンザと同じような対応を採ることにします。ですが、ニューノーマルな要素も生じています。
受付にマスクと消毒液を常備しておくことは、人を迎える施設として今後も継続していきます。
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この機会に大いに気になったのは、教会内に掲示している注意書きです。緊急事態宣言下のような対応を求めているので、強い調子を改めます。
参列者には、歌を伴う集会でのマスク着用と、手指消毒への協力を呼び掛けることにします。
一方、体調管理や集会参列判断は各自に委ね、人を迎える会場として換気などに留意しますが、これらは明記の必要性はないと判じました。
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司式者と説教者のマスク着用は絶対のものではなくします。
会衆と席が離れていることもありますが、音響(マイクが音声を明瞭に拾うため)との関連や、メッセージを届けるために音声だけでなく表情を示すことも大切だと考えます。
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礼拝ならびに祈祷会という、教会の中心的な集会は歌唱を伴います。前述の通り、そこではマスク着用を求めることは前提でしょう。
一方で心置きなく讃美することを目指すとき、歌に欠かせない息をする上で、いつまでもマスクをした間接的状態でいいのかという課題もあります。隣人たちの意見も聴取しつつ、次の手立てを考えていきます。
また会話を伴う食事は感染リスクの高い行為なので、なおしばらく愛餐については再開を見送ります。
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悩ましいのは聖餐です。コロナ前のように並べていたら、後の人が取るパンに、先の人が触れる可能性が高いからです。なので、カップに個別に入れることにしました。(ぶどう液は盃に入っているので、元の聖餐盆に戻します。)
ただ〈パン裂き〉という呼び方もある(使徒20:7など)ように、イエスさまの十字架上での犠牲を記念する上で、聖餐で裂く行為が欠かせないと主張する神学者もいます。
それは絶対の見解ではありませんが、一つのパンから同じ恵みをいただくことは大切な要素です。
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いずれについても、長老以外の方々からの意見や素直な思いのフィードバックを受けたいと願っています。