コラム

ひとりのみどりご

牧師 飯田啓子

 11月30日夕方ごろから大曲は霙の初雪が始まったようです。11月末から12月にかけての初雪ですから例年並みでしょうか。予報では雪だるまマークがズラリと並び、降雪積雪排雪本番に備える日々に続きます。
 初雪シーズンになると秋田では「球納め」なるものが目白押しになります。スポ少や部活動で野球やサッカーなど野外で行う活動が出来なくなるため、一年間の納会になります。初めて耳にした時は漢字変換が出来ずに慌てたのを思い出します。
 そして「降り積もる雪雪雪また雪よ。津軽には七つの雪が降るとか。こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪みず雪かた雪春待つ氷雪」と演歌“津軽恋女”を歌いながら雪道ドライブに出かけたくなります。真っ黒で重たい雪雲に覆われる中、雪にもこんなに種類があるのか、雪の種類を実体験しながら、雪道をドライブ。雪はゴミで厄介ですが、演歌を口ずさみながら、礼拝から礼拝へ、または温泉を目指すのは最高です。
 さて12月の礼拝招致はイザヤ書9章5節「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君』と唱えられる」が与えられました。クリスマスはイザヤを通して与えられていた神の言葉が実現する時です。約束されていた「ひとりのみどりご」が生まれる。その子には神と同じ権威、本質がある。その子の名前にはそれが表されている。それ故、ヨハネやイエス様の誕生予告の時には「イエスと名付けなさい」とわざわざ天使がいうのでしょうね。決められた名前を命名するのではなく、既に預言されていた内容の順番通りに語っている。
 そんな風に考えていくと、“ファインディング・ドリー”というディズニー映画を思い出します。ナンヨウハギの雌で明るい性格と重度の健忘症を持つ主人公。明るく好奇心旺盛なので何処にでも遊びにいってしまう。でも健忘症なので帰り道が解らなくなる。案じた両親が彼女のために貝殻を置いていきます。それを辿ると家に帰ることが出来る。でも彼女はそれすらも忘れています。クライマックスでようやく彼女はそれを思い出し家に辿り着き両親と再会する。
 私たちにも貝殻以上の軌跡が備えられています。神の言葉という軌跡です。それを一つ一つ丁寧に辿れば、神に出会います。また約束されたみどりごに出会います。そしてこの御方こそ救い主なんだと確信し、告白するようにされていきます。
 丁寧に辿りながらみどりごが何方なのかと出会い続けるクリスマスを歩き続けましょう。