コラム

主にあって宜しくお願いします

牧師 飯田啓子

 2022年3月29日(火)午前9時半、呉服町通りから本通り、中町地下道、浅間さん商店街を利用して着任することが出来ました。飯田啓子です。どうぞ主にあって宜しくお願いいたします。

 先ずこの着任の日を迎えられたことを本当に不思議に感じます。2021年3月下旬に東京神学大学の学長から静岡草深教会に赴任して欲しいとの連絡があり、一旦はお断りしたのですが、飯田敏勝が祈りに祈った結果、学長からの話を受ける決断をしました。その後に高3になる長男をどうするかを悩み始め、本人の決断に任せること、静岡に行くと言えば同行させる、大曲に残って卒業すると言えば、母親が残ることを決め、静岡草深教会の招聘を受けて赴任はしますが、一人は2022年4月から着任、もう一人は2023年4月に着任というイレギュラー形式の招聘になりましたが、臨時教会総会でもこの形式で招聘
が決議され、辞任と赴任の準備が着々と始まりました。

 静岡草深教会、また長老会でも時差着任は初めての事ですから、丁寧に祈り考え決断してくださったことは、メールや電話連絡など折々に感じることができました。厄介をかけていることを申し訳なく思いながら、ただ主によって受け止めてくださいと祈るばかりでした。長老お一人お一人に感謝を申し上げます。

 ところが2022年に入ってから、驚くというか余裕が持てない状態ばかりが続きました。先ず1月最終週から3週連続で葬儀礼拝が入りました。知らせを受けた時は、教区などの仕事で主任教師が不在。代わりに担任教師が祈りに行く。そして葬儀礼拝の段取り打ち合わせを行いました。

 それから約10日後の2月19日(土)主任が脳梗塞で入院。一週間で退院しましたが、先発後発着任を交代することになり、2週間で移動の準備が始まりました。どうにか落ち着いた時に宮城福島の地震で新幹線が不通になり、長男が学校行事によって濃厚接触者認定(結果は陰性)。

どれ一つとっても「これは静岡に行くな」と言う御心なのかとしか思えないほどに受け入れがたい内容ばかりでした。御心と信じて招聘を受諾し、辞任した教会で代務者としての責任を務める覚悟も決めた矢先に、与えられた事柄の数々。どうすれば良いのか、どう考えれば良いのか迷う中で、行くなと止められたのは、飯田啓子というキャラから思い上がった自信であり、派遣してくださる神様にだけ信頼し、そこに立つ以外の理由は置いていくことなのだと教えられました。静岡草深教会という新しい嗣業の地に行けという主の御命令は何があっても変更がなく、その信頼と安心以外のものは必要のないものの類です。

主なる神様によって遣わされた静岡草深教会という新しい嗣業の地で、共に神様を誉め讃える礼拝と、キリストを聴き伝える伝道と、聖霊に導かれて救われている平安を味わいたいと願っています。どうか主にあって宜しくお願いします。