コラム

4月11日

牧師 飯田啓子

 今年の4月11日は月曜日でした。棕櫚の主日から派遣された最初の日、先ず祈り、初めての中静分区教師会に出席して、懐かしい同労者との再会、初めての同労者との出会いなど、心の中で何回も「うわぁ~うわぁ~うわぁ~」と驚嘆の声を上げていました。

 去年の4月11日はイースター礼拝の翌週の日曜日でした。第二日曜日でしたから私は何時も通り大館教会(大館市:大曲から片道約160㌔)の礼拝奉仕の日でした。教会到着前にドライブの喜びを抑え、礼拝に臨むために祈りのコーヒーブレイクタイムを持ち、ふと姉からラインが届いていることに気が付いて開いてみると「お父さんが危ないと連絡が入った」と一言。礼拝への祈りと共に 主よ 憐れんでくださいと父への祈りが加わり、主日礼拝の講壇に立ちました。礼拝奉仕が終わってからラインに気付き、開けてみると「お父さん、午前10時41分召されました」の連絡。思わずスマホを落としてしまって、天を仰いで「アーメン、神様やがなります(秋田弁でお世話になりますの意味)」と声が出ました。

 何時も通り大館教会を出発し、約100㌔離れた秋田飯島教会の礼拝へ向かいました。道中、ずっと「我 きけり彼方には麗しき都あり~」(讃美歌Ⅱ-136番)と「その日、その時をただ神が知る~」(讃美歌21-575番)を繰り返しながら、涙が止まりませんでした。大館市から秋田市までは国道285号線を使うのですが、二つの峠を越えるので、トンネルがたくさんあります。20℃を超える暑さでしたから、トンネルに入ると涼しく、出ると直射日光で暑い。三つ目のトンネルを出た時、「これが復活か」と目から鱗が落ちたようなスッキリとした希望に出会えました。明るい道から暗いトンネルに入り、そして明るい車道に出る。地上の生活と言うトンネル、永い眠りというトンネルから、明るい世界に入る。

これが復活なんだと、悲しみや寂しさよりも、神様の御前に出る確かを実感することが出来ました。悲しい涙が、復活を実感する希望の涙への変化です。
もう一つ神様の御前と言えば、父が召された4月11日午前10時41分は、父は病室、母と姉は教会から病院に向かう途中(大阪)、私は大館教会(秋田)の講壇に立っていましたが、家族全員が主の御前に呼び出され立っていたことが驚きです。場所も状況もバラバラですが、家族全員が神様の御前に呼び出されてその声を聴いていたことが、ただただ「神様は本当にスゴイ!うわぁ~うわぁ~うわぁ~」の頌栄でした。

闇の向こうは終わりではなく光の世界。命の終わりは命の始め。主イエスが十字架の死から甦られた。喜び祝う感謝の礼拝を献げましょう。