コラム
ハカハカとボチボチ
牧師 飯田啓子
草深に到着してから一か月が経ちました。ふと手帳を見ると4月3日(日)草深教会主日礼拝(初)、4月6日(水)祈祷会(初)、4月17日(日)イースター礼拝、墓前礼拝、納骨式。4月25日(月)納骨式、午後久能山東照宮/日本平と書いてあり、「おお4月はハカハカとボチボチの日々だった」と嬉しい納得をしてしまいました。
ハカハカとは秋田弁でワクワクドキドキ+緊張感が含まれた思いを表現した言葉です。現在、朝ドラでタイトルになっている沖縄方言に似ていますが、期待感だけではなく良い意味での緊張感が加えられている部分がハカハカです。何かが起ころうとしている、神様が動かそうと初めてくださっている。ただ神様だけに祈待(きたい)する思いです。
空っぽのお墓である復活を目指しながら、そこからの招き(草深教会の言葉であれば礼拝招致の招致です)に照らされている。復活のキリスト、招致してくださっている神様、照らしてくださる聖霊。この神様の働きの中で生きることが赦されている私たちは、何時も神様に対してハカハカした祈待をかけるだけです。
ボチボチは特に関西地方で使うことがある表現ですが、肩の力を抜いて、自分自身の力を過信し過ぎないで誠実に尽力する状態です。今回、沼上霊園で壁面墓地というものに初めて出会いました。斜面を有効利用するすごいアイディアだと感心しました。そして思い出すのはイエス様の亡骸が納められたお墓です。元々あった洞窟なのか、人工的な洞穴なのかは今では解りませんが、壁面墓地と同じです。入口部分を塞いでいるのが大きな岩か銘板プレートの違いはありますが、当時のお墓を想像するには便利だろうと思います。そして一番、感心したのが“覗き込み易い”点です。下に向かって掘られた穴ならば、覗き込むのに躊躇と言うか、引き込まれるような不安を覚えてしまい、しり込みが起こりますが、視線そのままだったら実に覗き込み易くて、オープン(開かれている)になっている幸いを実感します。キリストによって神の国の扉がオープンになった。御言葉を聴く聖餐を受けることで、キリストによってオープンとなった神の国を仰ぎ見ることが出来る。この時代や世の中に派遣されている私たちを見て、未だ神の国が開かれていることを知らない方々が、オープンしていることを見る。そしてその様な伝道の御業に用いられていることで、先に信じている私たちは、開かれていることだけではなく、鳥観図的に神の国を見るだけではなく、そこを自由に動き回れる者として、全てで覚えていくことが許されています。
洗礼を受けてから地上の時間が止まる時まで、キリストの恵み、神様の愛、聖霊の交わりの祝福の中で、自分の力を捨てながらボチボチ歩いていく。新緑の季節を楽しみながら。