コラム

ホーリー&シンプル

牧師 飯田啓子

 先日の祈祷会終了後にある方から草深教会の礼拝堂コンセプトが「ホーリー&シンプル」だと教えて頂きました。そして思い出したことは、初めて草深教会の礼拝堂を見た息子の印象です。「草深の十字架は綺麗だね。そしてちょっと小さいね」。彼にとって初めて目にした、十字架の新しい意味の驚きと感想を素直に表現したものです。

 大曲の十字架は実に大きい。大曲教会は教会玄関から礼拝堂までが一直線で、玄関真正面に礼拝堂があります。もちろん礼拝堂に入るときには横開きの扉(木製の襖タイプ)がありますから、地上と聖なる場所を区切っているのですが、段差や床素材に変化がないので、玄関から礼拝堂、十字架が一直線に見える。講壇は一段だけ高くなっていますが、それだけなので講壇からも外の世界が良く見えますから、結ばれているというか繋がっていることを 実感することが 出来ます。そして十字架は壁の高さとほぼ同じで、しかも床に直接、建てられています。私は「地上に打ち立てられた十字架」「罪に突き刺さった十字架」だと説明をします。大きく重くそして荒々しい十字架が罪の世界に打ち立てられている。息子はその十字架を見ながら礼拝を献げていましたし、十字架と言えば大曲のしか知らずに育ちました。

 これは義認をコンセプトにした十字架です。主イエスの十字架の苦しみによって罪赦され、義と認められる。その贖罪のために十字架の死がどれほどの戦いであったのかを思うことへと導かれます。大きく重く荒々しいほど、自分の罪と贖うためのキリストの戦いの凄まじさ。それ故に義とされている喜びを感じることが出来ます。

 草深教会の礼拝堂、そこに掲げられている十字架は、恐らく義認よりも聖化の方を受け止めたものではないかと思います。十字架の贖いによって義と認められ、そこから神の国の住民・信じる者へと日々新しくされていく聖化、罪を清められ、聖なる神様のものとされていく畏れと喜びを生きる聖化。罪あるものが罪のない神様のものとされていく。地上という罪の世界から救い出され、神の国の住民とされていく。十字架によって赦された義認、十字架によって赦された聖化。同じ十字架と表現しながら、その多くの意味のどれを中心にするかがコンセプトとなって表現される。すべて神様のプロデュース、神様が祝福してくださるからこそ信仰生活となっていくのです。

 着任してから一か月。このホーリー&シンプルが礼拝堂のコンセプトだけではなく、皆さん一人一人の信仰生活のベースなのではないかと気づかされました。なるほどなぁ十字架の魅力、キリストの恵みの深さは、人間の表現能力を超え、その中に閉じ込めることが出来ないことを思いつつ、十字架を生きる者とされていく歩みは楽しい。