コラム

礼拝セット

牧師 飯田啓子

 今日の礼拝後、11時半から飯田敏勝牧師とのズーム面談が予定されております。どうか顔を見て声を聞いて安心してくださればと思います。2月に与えられた病の後遺症は全くありませんが、その病の原因になったであろう高血圧を安定させるためのお付き合いリハビリをしている最中です。いわば成人病の領域で、まだ死に至る病の領域ではありません。どうか見たままを素直に受容して安心してくださればと思います。

 そして私は先週、2回も静岡英和女学院の礼拝に出席させて頂きました。1回目は初礼拝奉仕のための下見、2回目が初礼拝奉仕です。素直な感想は「なんて贅沢な空間なんだろう」です。あの空間で神様からのメッセージを聴くことに集中できる贅沢さ。実に羨ましく思いながら、その中に置かれた幸いを楽しみました。そして欲しくなったのが生徒一人一人が持っているえんじ色のトートバッグ。あのバッグを持っていれば自分も英和生の一人になれるかな、礼拝応援に行く牧師たち全員が持てば、みんな神様のメッセージを聴く者として、一つとされることを味わえるかな等々、思いが膨らみましたが、残念ながら同窓会からのプレゼントで非売品とのこと。実に残念です。

 あのトートバッグを見た時、思い出したのが“CSセット”です。飯田が入院した時、必要な物を届けに病院に行くと、至るところに“CSセットあります”のポスター。多分、緊急入院などの場合にタオルとかスリッパ、歯ブラシなどのケアーに対応できるセットのことだと思うのですが、教会学校から育ち、教会学校教師の経験がある者にとってCSセットの中身は聖書・讃美歌・献金です。それをマイバッグに入れて礼拝に出かける。それを取り出して礼拝を献げる。それを持ちかえる。

その繰り返しの中で、礼拝は聴くことだと覚えることが出来る。

教会学校時代は礼拝に余計なものを持ってくるなと良く叱られました。自分にとっては大切なのに、聴く礼拝には不必要なもの。秋田では県内くまなく走り回って礼拝応援に行きました。土日の大雪警報だけは勘弁して欲しかった。十分に気を付けながら、でも思わぬハプニングに備えるために、前泊をしましたし、土曜日に説教原稿を届けておくこともしました。すると礼拝に必要なのは語る牧師ではなく、語られる言葉であることが見えてくる。復活の礼拝では牧師は失業すると言われてますが、その意味が身に沁みました。神様のメッセージを聴くことこそ礼拝であり、復活の礼拝はその言葉と声が響いているだけです。

 私たちに与えられている礼拝セット。ここから聴き、これを持ち運ぶ生活が祝されますように。