コラム
目に見える不測や不足よりも、目に見えない方への誓約
牧師 飯田啓子
今週25日木曜日から一週間の夏期休暇に向けて、笑い飛ばせなくなっている疲れを引きずっている自分自身と付き合っています。先週水曜日の祈祷会、週報予告と実際に準備した聖書個所が違っていたことに当日指摘されるまで気が付かず、そのために躓かせてしまった方がいる。またその翌日にこのコラムを書いていますが、何時もなら熟成させた内容を文書化するのがスムーズなのですが、既にパソコンを開いてから4時間。まとめることが出来ていない自分に戸惑っています。
原因は寝不足です。心配事が多すぎて寝れないのではなく、暑さが原因で熟睡出来ないと言う贅沢極まりない原因です。
夏になってからの寝不足という不足の中で、たくさんの不測事態が起きました。感染者拡大、大雨被害などなど備えていたことをあざ笑うような事態が押し寄せて、不測事態に備えていない不足の自分=自己嫌悪の悪循環になることを思います。それを食い止める術は私にとっては笑い飛ばすことです。それが私のバロメーターです。
恐らく4月に着任して以来、今日まで、飯田啓子という罪人のボロや不足の部分は数多く露見していると思います。丁度、赴任してメッキが剥がれる、猫を被ることが出来なくなる時期です。数か月で100年以上の歴史を持つ教会に慣れる、初めての出会う感覚や祈りの人に慣れる。さらに牧師の場合は慣れるだけではなく、その方向性を明確にしなければならないと言う教会形成と伝道というミッションがあります。
今、祈りつつ心配しているのは、9月25日の牧師就任式です。就任式の中心は誓約です。牧師は神から委託された教会を神の名によって愛することを誓約し、教会員はこの牧師を神から派遣された者であると信じてアーメンと誓約する。このことが就任式の中心です。
通常ならば赴任して3か月以内に就任式が行われますから、牧師の不足というボロが出る前に式が終わっていますが、今回はイレギュラーな(ボロが出始めている)中で行われます。不足の姿やボロが目障りで誓約が出来ないという支障にならずに、不足だらけのコイツを神様が寄こしたという信仰と真実の中で誓約をお願いします。誓約の相手は神様です。自分たちに便利な牧師ではなく、この教会と信仰者に神様の必要を満たすために遣わした牧師である。その事をアーメンと誓約してください。同じ誓約を牧師もします。そして司式者はその誓約を励ますという問按使です。
目に見えることが真実ではなく、目に見えない神様が明らかにしてくださることが真実です。