コラム

しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った

牧師 飯田啓子

 夏期休暇と教区伝道協議会という2つのリフレッシュの時を頂き、リフレッシュ出来たことを感謝します。
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 夏期休暇は個人的に静岡大曲間750キロを走ることが出来たという満足感です。身体的に心地よいリフレッシュが与えられて感謝します。居心地という面では家族が住む家ですが、そこは同時に辞任した教会ですから、良かったのか悪かったのかは何とも言えません。ただしっかりと大曲の礼拝、また大館教会の就任式に顔を出しましたが、「初めまして東海教区静岡草深教会の担任(かつ主任代務)の飯田啓子です」と挨拶してきました。
 教区伝道協議会は2日目のパネルディスカッションが最高でした。講師の講演もさることながら、あの内容を当たり前として聞くことが出来る信徒の方々にも驚かされました。さらに、講師(同級生)VSパネラー(牧師としての大先輩)の対話は実に見事でした。
 どちらも牧師とはキリストを語ることでキリストを置く。それが伝道で牧会、励ましと慰めであることを十分に承知している。それは頭や知識としての承知ではなく、それを実践するという戦いの中で経験し、またそこを揺るがそうとする誘惑とも常に戦ってきたキリスト中心の人物です。
 夏期休暇で牧師としての働きと戦いの場が東海教区静岡草深教会であることを改めて確認し、伝道協議会でその牧師の務めと戦いが、キリストを語りキリストを置くことだと、改めて見せつけられた時、自分の愚かしさや弱さを一笑された新鮮さの中で、励ましと慰めを与えられた。このリフレッシュはたまりません。
 休暇前に夏バテだと表現していましたが、実際には身体的なバテバテではなく、自分の牧師としての務めと、それに立ち続けることが出来なくなっている不安の中で、説教が手から零れ落ちて行く虚しさの中で講壇に上がっていた不信仰極まりない状態でした。説教が響かないことへの焦りから、健やかじゃない説教になっていました。
 そのトンネルの中で牧師は、それでもキリストを語りキリストを置く務めが与えられている。その為に救い主キリストが標記の祈りを執成しと慰めのためにして下さっている。そのことを改めて体験することで慰められました。
 この務めを与え、この務めのために祈り、この務めのために聖霊が与えられている。この唯一の慰めを忘れた時、小心が傷心や焦心となってしまいます。そうなれば説教は無茶苦茶になり健やかではありません。
 教会に、そして一枝一枝にキリストを語りキリストを置く。この牧師の努めのために祈り続けてください。またこの牧師の務めを誠実に果たすことを表明する誓約のためにお祈りください。教会の誓約のために祈ります。