コラム

韮山に立ってみて

牧師 飯田啓子

 先日、三島教会を会場にした教区集会に出席をしました。午後スタートだったので早目に出発して、韮山の大河ドラマ館に行って来ました。気分は北条義時です。この伊豆から始まって鎌倉で武家社会を成立させ、京都の公家社会と真っ向勝負をする。京都を中心とした公家社会から、武士が主導していく社会への変換の一ポイントが伊豆だと考えていましたから、実際に韮山に立つことを楽しみにしていました。
 おそらく平安末期から鎌倉、室町時代は公家と武家の主導権争いが根底にあったのだろうと考えています。公家から見れば自分たちの身の安全を守る護衛だったり、経済基盤である荘園を守護する存在だった武士集団が、貴族組織ではない武士をトップにする組織を作り上げていくことは、目障り以外の何ものでもなかったのでしょう。また武士側も貴族組織をひっくり返すような思いはなく、ただ自分たちの世界や組織を独立させることが目的だったのではないかと思います。
 新しい世界を夢見て、それを認めてもらう。伊豆からはじまった(であろう)武家組織が夢見た世界とは何かをつらつら考えながら、楽しい時間を過ごし、最後は三島大社の福太郎餅で大満足でした。ここでしか手に入らない名物は幸せです。
 ちょうど祈祷会のテキストがイスラエルが王政に変化していくサムエル記に入りました。士師記からの流れで考えればイスラエルに強い指導者=王が欲しくなるのは、外敵に備えるためにも当然だろうと思います。やがて王が力を独占していくことで、国家は安定安泰状態になり、国民も安全に生きることが出来る。神の民イスラエルがイスラエル“王”国となっていくのは時代の流れ、 国内外からのニーズを考え
れば当然の流れです。人の目から見ればそれは平和で安心ですが、主の目には悪と映る。歴史はこの繰り返しのようだと考えます。
 参考までにイスラエルの3人の王様の名前を日本語にすれば、初代サウルは尋ねる・問う、二代目ダビデは愛された者、三代目ソロモンは平和に満ちた、です。名は体を表すと言いますが、それぞれが親の期待や告白が込められた名前です。ただ私たちが主の目に悪と映る歴史を繰り返さないためには、この名前(人物・個人)が主語ではなく、必ず主語が外側に存在する、その存在を主語として生きることが大事になる。私の表現では、人は黒子人生が最も適しているのです。
 地上から神の国を仰ぎ望む道中、何時も復活の光が照らしているだけです。