コラム

2023年今年の目標 年間聖句

牧師 飯田啓子

《新しい歌を主にむかって歌え》
詩編149編1節。これを2023年の年間目標(総会資料)・今年の目標(週報)と長老会は決議して、第131回定期教会総会の議案「2023年度年間目標と議場計画(案)」として上程します。
「何だ2022年と同じじゃないのか?!」と受け止める方も少なくないと思います。では なぜ同じ目標を提案するのか。その理由として、2022年に計画した目標が、私たちの中でどれほど活きたものになっていたか、少しばかり 考えるところがあるからです。年間目標を自分たちのものとするうえで、それを学び、理解を深めていく時間が十分ではなかったのかも知れません。「教会」として、理解を共有することに欠けていたところもあったのかも知れません。それが年間目標の理解を「自分流」の中で終わらせる側面を残してしまったのかもしれない、そういう感触を持っているからです。
 そうだからと言って、同じ年間目標を掲げることは、「出来ていない」と裁いたり責めたりするからではありません。このみ言葉のもつ難しさ、深さ、広がりをともに理解していきたいと思っています。難しさを解きほぐす力、道筋が、自分の側にあるのか、キリストにあるのかを知り、味わって欲しいと願っています。
 与えられた聖句は、礼拝の中での出来事を表現しています。礼拝は、神様の御栄光を、キリストの十字架の死と復活を通して、聖霊の導きの中で、罪赦された私たちが、そのことを心から喜んで、誉め歌うことです。そこには、三位一体の神様が、私たちに先立って確かにおられる。これを知ること、示されることが大事です。
 詩編149篇1節が言う「新しい歌」を歌う時は何時なのか?「主に向かって歌え」とされる<本番>は何時なのか?「主の慈しみ」とは何か。「主の慈しみに生きる人」とは誰か。「集い」とは、「賛美の歌」とは何なのか。「賛美の歌をうたえ」と命じているのはどうしてなのか。一つ一つの言葉や意味を皆が理解することで、教会が動いていくことになると思います。
 飯田啓子個人としてはこの御言葉が詩編の終わりから二番目にあることに注目して欲しいと思っています。それまでの時間、祈りの交わりの中で罪を赦してくださった神と罪赦された者が、この罪の赦しを中心に「与える」と「受ける」の関係を過ごしてきたわけです。この関係で求められているのは「悔い改め」です。私たちに今、求められている点がまさにここだということを経験していきたいと思います。