コラム

草深教会と総会を覚えての祈り

牧師 飯田啓子

今日は1月19日(木)。2023年がスタートして早3週間が経とうとしています。駿河の正月を楽しみ、ボチボチ仕事のペースに戻ろうかと考えていた矢先の葬儀礼拝。その準備と総会準備などで事務室が渋滞。先ず実質的にも気持ち的にも出会いがしらの衝突事故が起こらないように気を付けながら、それぞれの準備の共存と調和の均衡に気を付けた11日(水)。12日(木)は15日の 主日 礼拝 説教準備 と葬儀 礼拝説教準備。しかも別々の聖書個所だったので、カオスにならないように格闘しました。この主日に2本とその準備は、前任地にいた当時は当たり前で、移動時間を加味しなくても良い分だけ楽でしたが、静岡に赴任してからは初めてだったので、懐かしさと慌ただしさを久々に味わいました。聖書は何処を切ってもイエス・キリストですから落ちの部分は同じです。でもそこに至るまでの道筋がそれぞれにありますから、頭の中で混乱しないように共存と調和の均衡を意識しながらでした。
 ふと自分が50年前のことを思い出して話していることに気が付きました。50年前のことを口にできる大人になったのかと驚いています。そして繋がっている事を発見しています。
 献身前の母教会は旧ディサイプルス。神学生時代の教会は旧メソジストです。その教会の伝統や牧師の確信によって、一人の信徒を育てる時の言葉や目の付け所が違います。でも一つのことを伝えていたんだと気づかされます。
 50年前を話せるようになって、今は右手に聖書・左手に教憲教規の牧師として歩み始めています。この姿の必要性や大切さは若い頃には解りませんでした。しかし二つの神の意志に守られている平和と安全の中にいる(私の表現では安心して失敗できる)、主の慰めと励ましを実感しています。
 この右手に聖書・左手に教憲教規の状態で教会と総会を覚えて祈っています。それはこの二つが神の意志でありキリストの十字架の福音によって、赦された者が守られているからです。
 神の意志と告げられた福音によって守られていることを知る教会と総会となりますように。