コラム

2月の礼拝招致

牧師 飯田啓子

 1月21日午後4時頃、携帯に着信があり、名前を確認すると“飯田敏勝”だった。一瞬にして身構えてしまった。土曜日に家族からの電話はよっぽどの緊急でなければ掛かって来ないことが家庭内ルールだからです。
 身構えたのは去年の2月19日(土)を思い出したからです。その日、何時ものように昼過ぎに大館に向かって出発。雪道ドライブを楽しみながら、順調ならば1時間ぐらいで到着という辺りで着信。名前が倅ではなく敏勝だったので安心して出る。すると「入院した」「(実家の家族か教会員の)誰が?」「僕が」「(声も大したことなかったので怪我だと思いながら)何で?」「脳梗塞」。声の感じから大事ないと思いつつ、先ず倅の心配が始まりました。今から戻るにしても軽く2時間以上は必要。大館の礼拝のために説教原稿をどう渡すか等々。命の危険がないだろうと思ったので、礼拝の責任と親としての責任をどう果たすかを考えた次第で、本人の心配はあまりしなかったと思います。日曜日に午前と午後の礼拝奉仕を終えて、急いで帰宅しても午後5時。本人のことは諦めるしかありませんでした。そんな事を思い出しながら21日電話に出る。あれから約一年。どうにか主に用いられる状態を与えられている事を感謝するばかりです。
 2月の礼拝招致はイザヤ書42章8-9節が与えられました。定期総会という教会の総決算によって全てを神に献げ、また新しい歩みが始まる中で示された聖句です。“見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう”と主が約束し、“それが芽生えてくる前にわたしはあなたたちにそれを聞かせよう“と仰ってくださる主。ただ聴く者で終わるのではなく、聴いて従う者、聴いて生きる者へと新しくされ続ける歩みを、誠実に献げていきたいと願います。