コラム

祈りよりも祈る

牧師 飯田啓子
 2023年度4月から水曜日の聖書研究祈祷会は【教会-教会の教えと教会への手紙】を主題にして聴き続けます。「教会の教え」では主の祈りと使徒信条、「教会への手紙」では新約聖書の各手紙を取り上げていきます。このテーマによって、神様が私たち救われている群れをどの様に養い育ててくださるのか楽しみです。
 教会の教え。それは、何か方程式や公式があって覚えるのではなく、主イエス・キリストに結ばれていることを知ること。教会が福音として伝え続けてきたのは、教会が信じる信仰を身に着けていくことです。
 それは教会の祈りを祈る者へとされていく成長や聖化です。キリストの十字架と復活によって罪が赦されて義とされた者が、聖なる者とされていく。小難しいように思われがちですが、何かに囚われている状態から解放される自由さ、神様に愛されていることを知って神様を愛することが出来るようになっていく生活です。
 私が受洗後、初めて中高科の礼拝で司式をするように言われた時、礼拝の祈りが解らずに牧師や先生方に泣き付きました。「見よう見まね、聞きかじりで良いから書いて持ってきなさい」と言われ、便せんに書きだしました。するとそれを読んだ牧師が「なんだこれは祈りじゃなくて手紙だ」と一言。礼拝の祈りも含めて、祈りの基本は主の祈り。あの構造通りに礼拝の祈りをしなさいと教えられました。そして自分の祈りを振り返った時、見事なまでに的外れな祈りであることを知りました。神様に祈る。頼る。安心する。求める。どれをとっても見事に的外れでした。 
 主の祈り(の構成)を真似する祈りが始まりました。今でもそうです。この体験を繰り返す中で、祈る人へと育てられていることを覚えて感謝しかありません。活きている神様との交わりは、義とされたスタートから聖というゴールへ向かう生活なのだと思います。