コラム

平成ジャンプ

飯田敏勝

 中静分区教師会に対面で参加し雑していると、着任して一番日の浅いわたしが、実は一番古い静岡の町並みを知っているというギャップが明らかになります。
 平成元年に大学進学で静岡を離れたので、わたしが知っているのは昭和の時代の静岡です。平成は丸々他所で過ごし、令和になって戻って来ましたから当然といえば当然なのですが、プチ浦島太郎状態です。
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 ちなみにタイトルの文言は、数年前に流行った「昭和時代に生まれた人物が、未婚のまま令和時代を迎えること」のネットスラングが元ネタです。
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 啓子牧師と町に出かけても、全国チェーンのお店は他所では利用したことがあっても、静岡ではここにあるということを初めて知ります。その一方で、デパートの位置と名前などは、わたしの方が正確に把握していたりします。
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 もちろん時折帰省して、西武がパルコになっただとか、新しい高速やバイパスが整備されたことなど聞き及んでいました。しかし、住宅地の中や郊外の変化までは把握してないので、本当に驚きです。
 ただ、税務署や検察庁の敷地に変わらず生えているクスノキなどは通学時にいつも見ていたせいか、妙に懐かしさを感じてしまいます。
 図書館を利用しようとカードを申請したら、古いデータが残っていて新規ではなく(手数料の要る)再発行になりました。まあそんな風に、わたしも確かにこの静岡の町に暮らしていたことは歴然たる痕跡が残っています。
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 牧師の最たる務めは、説教で御言葉を語ることです。とはいえ、それは教科書の中の模範解答のように書けるものではなく、「この町には、わたしの民が大勢いる」(使徒18:10)その相手に語り掛けるものです。
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 神学校を出て最初の赴任では、牧師としての生活に慣れることがまず大変でした。
 次の転任では、礼拝や祈祷会の準備の一週間のリズムも身に付けていたので、最初から町やそこに住む人々を知ることに心を向けることができました。
 今度の転任は――余りない事例ですが母教会で、当然その周囲の町も知っているので――ひょうひょうと歩み出していますね。
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 もちろん啓子牧師にとってはまだ慣れない要素も多く、模索中のところがあります。わたしにしても三〇余年のブランクはあります。しかし、先の御言葉に付随して神さまが仰る「語り続けよ」(使徒18:9)に忠実でいられることを切に願っています。