コラム

主が与えられる土地に長く生きるために

牧師 飯田敏勝

 先日婦人会の例会に参列しました。第五戒が扱われていました。ちょっと牧会的ケアも要する議論を含んでいたかと思いつつ、その場ですべてをつまびらかにできませんでしたので、恩師の文書で当方の明らかにしたかったことを、ここにお伝えします。
 以下、大住雄一『神のみ前に立って 十戒の心』(教文館、2015年)からの引用です。
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 十戒の戒めは大部分が「~をしてはならない」という禁止ですが、安息日=シャッバートはそうではなくて、「~をせよ」という積極的な命令です。この安息日の命令に続いてもう一つ、「~をせよ」という積極的な命令があります。出エジプト記20章12節を読みます。
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 まず十戒は、父母を敬うことを人として当然のことだと教えているわけではありません。先ほど、十戒と同じような父母に関する命令があると申しました。レビ記19章32節です。
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 レビ記19章によれば、「父母を恐れよ」ということと「白髪の人の前でお前は起立せよ」「老人の前で敬意を表せ」ということは一つです。普通、親孝行というと、まず子どもに教えられるべきものですが、この十戒の「父母を敬いなさい」という戒めは、むしろ大人に教えられるべきことではないのか。
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 しかし、もう一つ考えねばならない事柄があります。……老人を敬うことと神を恐れることはつながっている。しかもレビ記19章3節では、「母と父を恐れなさい」と命じています。「恐れる」という言葉を使っています。32節では、それと同じ言葉で「神を恐れよ」と言われています。つまり、父母との関係は 主なる神との関係と 重なってくるのです。十戒でも「重んじよ」というこの命令の言葉が「主に栄光を帰する」というときに使う言葉であったり、父母を重んじるということが主とイスラエルの契約と深い関係があったりします。
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 私たちはときに、人間的には父母を赦せないことがあります。けれども、その父母のために主は契約を与え、愛してくださって、この父母に忠実を尽くされた。私たちの主なる神がそうであるならば、私たちはその父母に対する神の誠実を受け入れることができるのではないかと思います。……「父母を重んじなさい。そうすれば、あなたたちはこの主が与えてくださった土地の上で長く生きることができる」ということは、この契約に父母とともに真実であるということを求められているのだと思います。