コラム

9月礼拝招致

飯田啓子

 夏期休暇直前の23日(水)。北海道で熱中症対策としての臨時休校ニュースに驚く。以前、北海道出身者からマックス25℃でも耐えられないと聞いたことがありますが、それを遥かに超える熱中症アラートが連日出されているので、対策としては臨時休校しかないのでしょう。このまま気温が上がり続ければ12月に40℃越えも起こるのかと思い、日本には避暑地がなくなるのか?と心配になります。
 そして今年の夏期休暇のテーマは「教会とお城巡り」に決めました。駿河国から信濃国に移動して越後国を目指す。それから岩代国(明治2年に陸奥国から分離、現・福島県西部)に抜け、陸前・陸中方面を回り、ついでに羽後国で花火見物。27日は信濃・陸前・磐城の何れかで祈りの向くままに礼拝に出ようと模索中です。きっと祈りが導いてくださると信じています。

 祈祷会準備でベルギー信条の「真の教会のしるしは、次の標識によって見分けることができる。福音の純粋な説教、イエス・キリストが制定された礼典の執行、誤りを矯正するための教会戒規の執行。つまりは、純粋な神のみことばに治められ、これに反するすべてのものを退け、イエス・キリストのみが教会のかしらであるところの教会である。これらのしるしによって、真の教会であると認め、保証することができる」が示されました。
 この信条の言葉に出会ったのは、青年会時代。まだ高校を卒業して大学生になったばかりの時に、クリスチャンとして如何に生きるか(多くは遊ぶや楽しむか)を懸命に実践していた社会人青年から聴き、牧師からも、見える教会は生活の道場、そこで鍛えられて見えない教会に繋ぎ合わされていることを喜ぶ人になるように(的な内容)と教えられました。信仰者として救われた者として、この世で如何に生きるか。青年会のテーマでした。そして神様に治められていることを初めて意識した瞬間でもありました。「人間の方が神様を信じているからこそ」、そんな思い上がりがそぎ落とされて行く。そして治められている安心と幸せ。その行ったり来たりの中で悔い改めに導かれる。私自身が悔い改めに辿り着いたのは、この教会のしるしに出会ってから8年ほど経過していたと思います。主日礼拝の中でした。背景には少しはまともな人になるようにとの教会中の祈りがありました。

 そして9月の礼拝招致はミカ書6章8節が示されました。「へりくだって神と共に歩むこと、これである」。神に治められるためには、悔い改めが必要です。目に見える教会の中で悔い改め、目に見えない教会から治められている交わりを喜びたいと思います。