コラム

中間時代

飯田敏勝

 普段言及されることは少ないですが、聖書学には「中間時代」という専門用語があります。旧約と新約の間に、時間的空白が400年以上あります。聖書に記述がない、その間の時代のことです。
 聖書に書かれていないから、説教でも滅多に取り上げません。しかし、聖書を理解しようとするとき、結構重要なんです。
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 聖書の歴史を概観するとき、天地創造から出エジプトは聖書自体が物語的記述で、素直に読解できます。荒れ野の旅の後には、先祖アブラハムに与えられた約束の地に王国を建てます。サウル・ダビデ・ソロモンの最初の王たちについては、覚えているエピソードも多いでしょう。
 ソロモンの後この王国は分裂し、北王国はイスラエル、南王国はユダと呼ばれます。列王記や歴代誌に記録されている歴史です。
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 北王国がアッシリア帝国、南王国がバビロン帝国によって滅ぼされたという経緯も聞き覚えあるかもしれません(記述預言者の大半はこの亡国の時代と、その後のバビロン捕囚期に活躍しました)。パレスチナはその後も世界を広く支配した帝国の影響を受けます。エステル記やダニエル記のペルシア帝国、新約時代のローマ帝国の下に、ユダヤが属領として存在していたことは、説教でも解説することがあります。
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 ただ件の中間時代に、ギリシア帝国の支配下にあったことも聖書世界に決定的影響力がありました。
 西洋の哲学や美術の原点にギリシア文化があるように、その文化的価値は絶大でした。周辺諸国同様ユダヤにおいても、その影響は着実に及んできます。

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 まずギリシア語が世界を席巻したからこそ、新約がギリシア語で書かれたわけですね。イエスさまやペトロたちが話していたのは、旧約のヘブライ語の方言的なアラム語です。ローマ帝国ではラテン語が使われますが、ギリシア語のほうがともかく世界に広く通用する言葉で、福音も普遍的に広がったわけです。
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 バビロン捕囚以降ユダヤとしてのアイデンティティが確立してきますが、ギリシア文化に取り込まれそうになるからこそ、ユダヤ独自の要素を確立しようとする動きも、反動的に強まるのでした。その一方で、親ギリシア的なユダヤ人も実は大勢いました。内部対立が絶えない状態で、多くの抗争も起きています。
 サドカイ派・ファリサイ派・エッセネ派なども中間時代にこそ生まれてきたものです。そしていよいよ、新約の時代を迎えることになるわけです。