コラム

旅の主食

飯田啓子

 先日、ひかり号終点旅で岡山を往復してきました。兵庫県西宮市の大学に通学していた頃、きび団子を食べたくなったり、完成したばかりの四国大橋を見に出かけていた街です。駅前の桃太郎の銅像や路面電車を眺めながら、脳内は関が原で負けた宇喜多秀家のことを思い巡らせました。また岡山が、九州だけでなく、山陰にも四国にも路線を伸ばしている西日本のハブ地域であることを改めて感じました。ひかり号の終点は岡山でしたが、その先は線路が続いています。

 中学2年生のクリスマスに洗礼を受けました(1979年)。信仰生活はまだまだ終わらへんでと祝意エールを受けたことを思い出します。皆さんも“洗礼はゴールではなくスタート”という言葉をご存じでしょう。キリストの派遣の言葉・祝祷が、よーいドンの大号令やで。教会のオジサンやオバサンの笑顔と言葉が思い出されます。先にゴールにいるからの声援や観客のヤジではなく、一緒に旅をしている会話でした。この旅は楽じゃないけどオモロイでぇ。人生オモロなかったらアカンやろ。ゴールの先はまだまだ続いています。この旅の中でマシな人間とされていくことを新しく思います。

 19日の午後は蒲原教会の礼拝に出席しました。その日は教区の問安使による礼拝で、一礼拝者としての出席でした。会衆席から講壇を見るという久々の感覚を十分に楽しみながら、ふと問安使が前任地の前任者であることに気が付きました。

 先生の伝道旅は大曲~金沢~長野です。長野から蒲原まで3時間半。スタッドレスタイヤを着用しながら雪道の備えも万全です。またその日、長野の教会の礼拝は白馬にいらっしゃる隠退教師に委ねたそうですが、朝になって「今日は雪が降っているから、もしかすれば礼拝に遅刻するといけないから」と連絡が入り、万が一に備
えて説教原稿を送信してもらったそうです。天気によって礼拝が案じられる。気候の厳しい地域のあるあるネタです。

 そんな話しをしながら、先生がこの旅を楽しんでおられることは一目瞭然です。礼拝の主が何時も共にいてくださる安心が顔や表情に溢れていて、伝道旅の頼もしい同労者です。

 最近、朝ドラのセリフで「この曲は歌い終わって完成だ」と聞きました。私たちの旅も同じです。信仰や礼拝、人生もそれを過ごしているから完成ではなく、過ごし終わって完成する。自分で完成させるのではなく完成に導いてくださる御方がおられるからです。

 その方は私たちの旅が耐え難いことを実際にご存じです。だからこそ「起きて食べよ」と主食を差し出してくださっている。主食とは御言葉と聖餐によってキリストを食べる生活です。