コラム

元古株の教会員として

飯田敏勝

 教会創立記念に際しては、このコラム欄を古参の教会員が執筆していると聞きました。しかし人選も尽きているということで、今回はわたしが書くことに長老会決定しました。
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 1989(平成元)年のイースターは3月末でした。そこで高校3年のとき受洗し、すぐに大学進学で金沢に移ったので、実際に(他住ではない)教会員として生活したのは2週間という短さです。
 静岡草深教会に来たのは鈴木愛さん(旧姓:福世)がわたしの姉を教会学校(CS)に誘い、幼稚園だったわたしもついて来たのが始まりです。
 ずっとCSに通っていましたが、高校になって一時教会を離れました。本当にキリスト教信仰が自分にとって必要なのかと考えた挙句、離れて試してみたのです。
 悲しいかな日曜日の過ごし方に礼拝が組み込まれていて、なんとなく落ち着かない気持ちになりました。そして大学受験で自分自身に持っていた自信が崩れたこともあり、頼りにできる神さまを認めるに至りました。
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 受洗後の次の水曜日、祈祷会に出なかった次の日曜のことです。わたしの週報には、辻宣道先生が祈祷会のところに蛍光ペンでラインが引かれていました。
 ただ祈祷会で忘れられないことは、求道者時代も時に出席することはありましたが「信仰を与えてください」と祈っていたことです。まさに「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(口語訳マタイ7:7a)です。神さまはきっと応えてくださる確信の基になっています。
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 草深に対して自覚的な信仰生活ができなかったことは、どこかでずっと申し訳なくも思っていました。
 半年後に転籍した金沢教会で、できるだけまじめに信仰生活をしようと思い、今に至ります。辻先生とはタイプの違う牧師の内藤留幸先生に、ずいぶんと育ててもらったと思います。
 ただ、ことあるごとに内藤先生と辻先生との間でも情報交換は行われていたようで、その後も帰省の際など相変わらず辻先生に牧会を受けたとの思いも強くあります。
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 わたしの信仰者としてのアイデンティティというか自覚は、草深のCS生徒としての経験にあります。今でもそれは何ら変わりません。
 なので目下「二匹の魚と五つのパン」や「光の子として歩みなさい」といった説教は、Ⅱテモテ3:14を典拠に、非常に語りにくいものです。会堂の最前列には、わたしがその話を聞いたCS教師たちが未だ座っておられるのです。神学校の先生の前で下手な説教をしても謝るだけですが、信仰者としての生き様を教えてくれたCSの先生たちの前ではそれもできませんから。