コラム

ふしぎなかぜが

飯田啓子

 「あんたの髪の毛、白髪ばっかり。私より多いんちゃう」と八十三歳の母に言われました。かなり耳は遠くなっていて、テレビの音量は35以上ですが、目は良く見えているようです。母から久しぶりにしげしげと観察されて、気が付いたことが次々に口から飛び出してきます。相変わらず元気なのだと安心しながら、「来年の還暦祝いが元気で出来るかどうか未定だから、先に貰っておいてあげるよ」と言うと、真顔で「せやなぁ先のことは分らへんもんな」。先のことは分らないけれど心配していない様子にホッとしました。長い時間を要して主との関係を構築していく人生の営みを見た感じがします。

 最近、同学年の友人との会話の中で「加齢性」という言葉が頻繁に出て来るようになりました。加齢性の難聴=耳が遠い、加齢性の視力低下=ピントが合いづらい老眼などなど、加齢性の〇〇で諦めがつくようになってきました。齢を加えていることで起こる現象だから治癒が出来ない。もうそんな齢になったのかと楽しんでいます。

 小学生の頃、現役を引退する校長先生の最後の話しの中で、「幸せなあめ玉を集めることを忘れないように。やがて自分が忘れていくようになっても、幸せなあめ玉があれば心配はない。数えるよりも最後まで集める人になれ」と教えられたことがあります。
 小学生にはチンプンカンプンでしたから、取りあえず、今日も楽しく遊ぼう、明日も楽しく遊ぼうと受け止めただけでした。やがて、楽しく遊ぶが楽しく生きるに成長し、そしてそれを集めるがめつさや貪欲さではなく、喜びや驚きになり、悲しい
時ではなく、嬉し涙を流せるようになりました。生きることの辛さは様々にありますが、幸せなあめ玉の記憶が辛さを軽くしてくれる。数えるのではなく集める。受け取る。齢を加える面白さだと思います。

 こどもさんびか改訂版の94番に「ふしぎなかぜ」という曲があります。“ふしぎな風がびゅうっと吹けば”と歌い出す、聖霊の力を讃美する内容です。最後は“ふしぎな風がびゅうっと吹いて/心の中まで強められ/神様の子どもにきっとなれる/それが新しい毎日です/わたしの命もあの風と共に”。ふしぎな風がびゅうっと吹く中で幸せなあめ玉を集める。自分ではなく神様に期待する思いが大きくなります。