コラム

諸教会の交わりの中で

飯田敏勝

 西静分区の気賀教会に、楠本史郎牧師が赴任しました。先の東海教区総会で、久々にお会いしました。
 わたしが金沢教会の信徒だった頃、楠本先生は隣の若草教会の牧師でした。石川地区の交わりの中でもお付き合いがありましたし、金沢教会が内藤留幸先生から宍戸基男先生に牧師交代する無牧の期間、楠本先生が代務をしてくださいました。学生だったわたしは住み込みで会堂守をしていて、牧師としてのエッセンシャルな務めが何なのかは、楠本先生が実際に携わる部分で、身をもって教えてもらった気がします。
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 教団の牧師になるためには、教師検定試験を受けねばなりません。
 わたしが受験したとき、楠本先生は検定委員でした。試験の最後には面接があります。旧知の間柄なので、むずがゆいものでしたね。
 楠本先生が試験を受けたときは、辻宣道先生が検定委員長だったそうです。面接で「どの科目が一番できなかった?」と訊いてこられ、楠本先生が「教憲・教規でした」と答えると、「あ、分かってるんだ」と言われたそうです。
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 楠本先生の最初の任地は輪島教会でした。会堂を建て、伝道の礎を築きました。それが今年の地震で崩れたわけです。
 教区での新任教師のあいさつの中で、輪島教会をはじめ能登のことを祈りに覚えていてほしいと、切実に訴えておられました。
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 日本基督教団の信徒は所属する教会に籍を置くものですが、牧師は教団に籍があります。いずれにしても全国区での交流がある者や、狭い地域限定で過ごす場合もあります。しかし 教師籍が教団にあるということは、単に実際の交流があるかどうかではなく、全体教会に仕える務めが明確にあることを示します。
 牧師は時に転任があり、寂しさや懐かしさといった感情が沸き上がることもあります。ただ、そうした思いは二次的、付属的なことです。個々の教会と同じように、諸教会の交わり、また教団という全体教会に仕える姿勢が明確かどうかで、その牧師の真摯さを覚えることになります。
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 普段は、所属する教会の牧師から御言葉を聞くことが、羊が受ける当然の世話です。しかし講壇交換などで同じように御言葉を聞けると、信仰が広がります。内輪受けする自分たちにとってのいい話ではなく、わたしたちの福音が公同のものだと確信できます。
 中静分区でも今月新たに講壇交換が始まりますが、その実践をわたしは楠本先生や釜土達雄先生などから受けてきました。草深を含む中静の皆さんに、良き実りをお祈りします。