コラム

備えるお年頃

飯田啓子

 「御国が来ますように」「御心がなりますように」の祈りの中でいよいよ「クリスマスが来ますように」の祈りが加わる季節になります。そして気が付けば「お言葉どおり、この身になりますように」の祈りをおざなりにしている自分に気が付かされ、求道心の弱さを思い知ります。

 今週、長男が20歳を迎えます。予定日よりも一か月早く生まれてきたので、何も出産準備はしていなかった状態でしたが、何とかなりました。それはひとえに神様の憐れみと信仰者の祈りという愛が常にあったからです。
 生まれたばかりの当時は手をギュッと握る新生児特有のWMポーズ。やがて親や友達と手を繋ぐことを覚え、マーチングに出会ってからは、マレットを握ることを覚えました。そしてお祈りを身に着けていく中で自分の手を握りしめることを覚えたと思います。
 これから彼の信仰生活の中で、主イエスに手を握りしめられていることに安心と感謝を覚えることが出来るように成長して欲しいと願っています。

 1965年生まれの私の同級生は還暦イヴの歩みをしています。子育てが終わり孫育て段階に突入した人、親の介護が始まった人、離婚・離職・病気などなどで、今までとは違う形態が始まった人等々。形態だけではなく身体の内外面でも変化がはじまっています。老いへのイヴだと考えるとつまらないので、次のお年頃へのイヴだと笑いあっている次第です。我が子に結婚を望むのは自分がお祖母ちゃんになりたいお年頃になったのか。親の介護が始まったのは自身の終活へのお年頃なのか。病気や離婚など、新しい環境に備えるお年頃なのか。つまりは受け取る準備です。ルカ4章19節は「主の恵みの年を告げるためである」と伝えています。これは“主が恵みをお与えになる年”とか“神様の喜びの年”という意味です。受け取り手にとっては厄介で苦手なものばかりです。でも神様から与えられているのです。備えやお年頃とは、神様によって与えられている自由意志が神様を基準にすることが出来るようにされていくことなんだと、改めて教えられます。
 
 人間には何時も準備の時が与えられている事に感謝します。その時に信仰も自由意志も神様を喜ぶことが出来るように備えの時が与えられている。御言葉を聞き続け・御心が成ることを祈り続け、この身に与えられている信仰と自由意志が育つ。
神様に手を繋いでもらっている。その安心を覚える年ごろになったことを感謝するばかりです。