

コラム
「讃美歌解説『紅海を渡り』」

飯田敏勝
『讃美歌21』の「受難・レント」のカテゴリーで、一つ特徴的な歌です。今週と来週、主日礼拝で讃美します。
祈祷会では既に3月に歌いました。旋律が不安定という思いがきっとあるでしょう。歌詞の三段目のメロディーが特に難しいかと思います。元々6世紀のラテン語の曲ですから、古典ですよね。現代人の感覚とはズレてしまっている面は確かにあると思います。
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『讃美歌(1954年版)』(以下「Ⅰ編」)は、良くも悪くも原曲を馴染みやすく改変しているので、全体的な統一感があります。
一方『讃美歌21』は原曲に近づける方針なので、先のような馴染みにくさが、時々どうしても出てきます。しかし、わたしたちには馴染みにくいほど昔にまで、歴史を遡って一緒に讃美ができるという喜びもあるんですけどね。(それを喜ぶという時点でマニアックでしょうか。)
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メロディー以上に、わたしは歌詞に惹かれます。Ⅰ編にはなかったタイプです。
イエスさまの受難を直接的に語る部分は少なく、出エジプトの出来事と重ね合わせる要素が大半を占めます。旧約の出エジプト記、ならびにユダヤの伝統における過越祭の重要性を踏まえねば、歌詞に実感が込められないでしょう。
奴隷状態にされていたエジプトを出るということは、聖書の救いの原型です。旧約の中でも詩歌や預言者がそうしたことに言及しています(詩78編,イザヤ11:15~16など)が、イエスさまが成し遂げられた救いも新たな出エジプトなのです。
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聖公会の『祈祷書』の「復活の歌」に次のような文言があります。
「過越の小羊キリストは すでにほふられた ゆえに、わたしたちは悪意とよこしまの古いパン種を用いず 純粋で真実な種なしパンで祭りを祝おう」。
コリントの信徒への手紙一5章7~8節を基にしていますが、過越の食事をベースにしつつ、バージョンアップされた聖餐の意義を、象徴を用いることで端的に語ります。
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この312番「紅海を渡り」は、曲にしても詞にしても、ディグり※甲斐のある歌です。
なお、「レント」にカテゴライズされていますが、四節では復活にまで至り、五節には頌栄も歌われます。イースターまで歌える曲です。
※「ディグる」:英語の‘dig’に由来し、掘り下げて調べること。