コラム

「教皇交代」

バチカンのサンピエトロ大聖堂

飯田敏勝

 コンクラーベ(教皇選挙)が先週7日に始まりました。その日にこの原稿は書いていますが、皆さんが読む頃には、新教皇が決まっているかもしれません。
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 教会員から、わたしがローマ・カトリック教会に言及することが多いとよく言われます。プロテスタントの教理を守る上で、違いをはっきりさせる必要があるときは勿論ひきあいに出します。
 しかしそれだけでなく、分家が本家のことを気に掛けるように、カトリックの良い側面も悪い側面も相共に踏まえるべきだと思います。そもそもキリスト教界を〈カトリック〉対〈プロテスタント〉という構造で考えがちですが、歴史を踏まえたとき、西方の〈ローマ・カトリック〉と東方の〈オーソドックス(正教会)〉こそが二大勢力です。現代に至るまでに(宗教界内部のみならず文化的諸側面を含め)プロテスタントの果たした役回りは無視できません。それでも、わたしたちの教派は小さな枝葉で、カトリックという太い幹を経て、オーソドックスを含めたキリスト教の根に遡ることで、イエス・キリストの命の水を汲み上げることができるのです。
 井の中の蛙になってはいけません。自分の属する領域は確かにありますが、それを様々な大小の範囲で捉えることで、視野が広がります。
 同じ神さまを信じているというのなら、ユダヤ教との共通点も大いに存在します。そもそもパウロが回心したのは、違う神さまを信じるようになったわけでありません。それまでも信じてきた神さまの、啓示の仕方が違っていたことを踏まえたのです。だからすぐに、彼は生き方を変えたまでのことです。
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 4月21日に教皇が天に帰られた途端、カトリック内外の関係者からの追悼の投稿がSNSで相次ぎました。わたしは情報収集の一環として教皇のインスタもフォローしています。その公式アカウントでは、リールで「使徒座空位」がその紋章と共に流れました。
 公の情報発信として、そういうものかと考えさせられました。つまり、フランシスコ個人に対する思いを載せるとかでないわけです。教会として何を伝えねばならないか明確です
 教皇は、キリスト教界から広く世間一般にメッセージを発することができる最前線の地位にあり、その影響力も多大です。お隣りが勝手にやっていることではなく、わたしたち自身とも関わりが大いにあることとして、教皇交代と、今後のローマ・カトリック教会の新たな歩みを注目していきたいと願っています。