

コラム
「祝福されるまで離しません」

飯田啓子
7月12日。還暦を迎えました。私が胎内に宿ったとき、父の会社が危ないとニュースが出ていたそうです。母はとても悩んだそうですが、家(の経済事情)がどうなろうと、与えられた命を世の中に誕生させようと覚悟を決めたとのこと。
やがて母の祈りや意を介さない子どもに成長し、折に触れ「あん時、必死に覚悟して産んだのに、こんな子に育ってしまった…」と愚痴や怒りをさんざん聞かされました。
誕生日前に会った時には不思議そうな表情をしていました。あの子が60年も生きている。祈りも意にも引っかからない子が60年も…。昔は呆れられてばかりでしたが、今は諦めたようで安心します。
還暦の祝意(お祈りと御言葉)を多くの友人から頂戴しました。その中で面白かったのが「ヤボクの渡しを無事に渡っておめでとう」。「祝福してくださるまで離しません人生が支えられるように」。
アブラハムの孫、ヤコブが神様と格闘した物語です(創世記32章)。
私たちにも自分が作り出してしまった川という溝がたくさんあります。乗り越えなければならないけれど、乗り越えたくない。自分の中から生じた不安や恐れのために乗り越えることが出来ない。そんな時、神様はヤコブと格闘(喧嘩ではなく、渾身の力で受け止める姿)してくださった時の舞台です。
そしてヤコブは「祝福してくださるまで離しません」と答える。子どもが聞いても印象深い聖書物語の一つ。それを祝意として贈られるのは本当に有難い限りです。
以前、こんな話を聞いたことがあります。教会員が戦死した報せが届くたび牧師が「無事にヤボクの渡しを渡れ」と口にしていた。そしてその牧師の葬儀の時に遺族が「親父はキリストと一緒にヤボクの渡しを渡って、永遠の時間の中に置かれたと信じます」。
神様からの祝福を得るために渡らなければならない川がある。越えなければならない死がある。それを怖がるよりも、手に入れるために話さない生き方に変えられる。祝福を喜ぶ話を聞くことから始まり、途中で祝福を話さない真逆に陥りながら、最後は格闘してくださる神に出会い続けて、祝福を求め続ける、離さない人へと変えられる。
神様の愛はイスラエルという祝福を最後まで追い求める献身者を生み出すことを実感します。