

コラム
「読書案内『さいしょのクリスマス』②」

飯田敏勝
(先週からの続き)上記のようなことは、普通に聖書を読んでいれば思い付くかもしれません。しかし、旧約の原語ヘブライ語まで踏まえねば読解できない要素も、この本には描かれています。
お腹が大きくなったマリアの絵が表れると、道端に石があります。他の場面で、岩は何箇所かに出ますが、石はここだけです。
ヘブライ語で「石(エベン)」と「息子(ベン)」が似ていて、ライトは聖書を読み解く上でもこれらを(言葉遊びのようでも、)類似性から意味の互換性があるという解釈をしています。
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意味深なのは、とかげです。
『わたしの聖書物語』の絵の中にも、不気味なとかげが所々に描かれています。蛇に替えて登場させているのでは?と、推量しています。
本書では明らかに、旅の危険を絵で語る際に登場させています。
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一つのストーリーを追うだけなら、(例えば、ピアッティ『きよしこのよる』(日本基督教団出版局、改訂新版2001年)のような)優れた絵本が他にもあります。
しかしクリスマス物語は、聖書の様々な場面との関わり合いがあり、それらを象徴的なイラストによって、ひそやかに神学を込めて語っている点が本書の特長です。
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最後に、クリスマス物語で星が重要なのは言わずもがなです。この『さいしょのクリスマス』でも博士たちがベツレヘムを目指す場面では、満天の星空が描かれています。
しかし、他の場面では窓の中や、限られたフレームの中に星や月が描かれます。分量的 にやや小さめなのが挿絵としては、不自然といえば不自然です。
ライトは、問題は窓の大きさではなく、その窓から月が見える位置にいるか――という譬えで、信仰のことを説き明かします。つまり、神さまに向かい合うのに、その人の能力の大小などが問題ではなく、きちんと向かい合えるところがどこかを踏まえているかなのです。
このことを思い返しながら改めて表紙を見ると、光に照らされた、天地の両方を覗くことができる窓の重要性に気付かされることになりましょう。
マタイによる福音書が最終的にたどり着くのは、イエスさまの「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28:18)との宣言です。クリスマスにお生まれになったこの御方は、世の光であり、御国を地にも来たらせ、信じるわたしたちを永遠の祝福の中に招き入れることのできる御方なのだと、絵で語っているのです。