コラム

「老齢を学ぶ」

飯田敏勝

 わたしも昭和の人間で、55歳定年の時代をしかと覚えております。時代が変わったのは承知しつつも、自分もいよいよアラ還にカウントされるようになりました。感慨深いものがある……わけではなく、相変わらずふらふらしていますけれどもね。

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 お年を召した方々と接して感じることは、できていたことができなくなることに、非常にショックを受けることですね。うちの父も85歳の誕生日を前に運転免許証の更新ができなかったことに、こだわっていました。

 社会で生きていくために能力が問われることもあり、当然と言えば当然です。しかし弱くなることを学習することは、できなかったことをできるようにするよりも、難しいものでしょう。

父の免許失効のしらせを聞いた人は、口をそろえて誰しも皆「よかった」と言うので、父は誰も「残念だったね」と言ってくれないと拗ねていました。そんな老人の精神面のケアにも気を遣います。

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 わたし自身が達観できているかといえば、決してそんなことはありません。

 先日スマホが亡くなりました。 水没させてしまいました。防水の機種ではあったものの、充電する穴の水をふき取り忘れていたのです。

 日に日に液晶画面に黒雲が立ち上っていきます。まずいとは思ったものの、出張と重なりすぐに店に修理に持っていけませんでした。結 果、画面がまるで見えなくなり、元のスマホで操作がまるでできないので、データ移行にえらく苦労しました(同じアカウントに別のデバイスからもアクセスした履歴があったので、なんとかなりましたが)。

 こんなことでショックを受けたくないのですが、何日にもわたって落ち込んでしまいます。「スマホがなければ生きていけない」とは思いたくないのですが、現に、そうなってしまっているのですから。

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 生くるはいかにむずかしきかな。讃美歌第二編141番で軌道修正しなければなりません。

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 運転免許証の更新があり、現住所表記が裏面から表に移ると「ああ、自分もこの地に住み着いているんだな」と感じさせられました。