コラム

「コーラム・デオ⑵」

牧師 飯田敏勝

 SMAPの「世界に一つだけの花」と、アナと雪の女王の「Let It Go」が流行った時期、牧師の間で(たびたび、プライベートな場での)議論が飛び交いました。
 世間一般は競争社会で、NO.1(もしくはそれに近づくこと)こそが価値があると見做されます。そんな中で、「もともと特別なOnly one」と締め括られるのが「世界に一つだけの花」です。
 こうした物の見方の転換というか、自己肯定の勧めはあるにしても、この歌詞がそのまま福音を語っているか、というのが冒頭の議論です。アナ雪の「ありのまま」も同様ですね。「『福音』であるからには、悔い改めが必要だろう」と、しばしば熱弁が交わされていました。 
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 もちろん、自己否定感が強い方が歌を聞いて、自己受容できるようになるなら非常に結構なことです。海外では、Christina Aguileraの「Beautiful」やLady GAGAの「Born This Way」が同様の理由で世界中で大ヒットしました。
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 しかしながら、本当の「ありのまま」は、どのような状態でしょうか。何の制約もなく自分の自由になるところで、思いのままに振る舞う自分でしょうか。本を読んだまま寝落ちしたい(大半はマンガですよ)わたしの寝床の様子など、人に見せられたものではありません。物の整理整頓ができない醜さのような話だけでなく、心から湧く思いを全部口 にしていたら、マルコによる福音書7章20節です。
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 人間は社会的存在であり、家庭における役割、学校や職場での顔、趣味の仲間や友達との付き合い方で、それぞれ自分を使い分けしていることでしょう。
 しかし、決定的なのは神さまの前での自分です。
 究極的他者の前というだけでなく、限りのない赦しと惜しみない愛を伴うがゆえ、この御方の前に放蕩息子のような罪人は、必然的に生き方を革(あらた)めることになるのです。
 それこそが、本当の自分であり、罪から解放された究極の「ありのまま」を初めて体感することができます。そこで発せられる言動こそが、信仰者の証しにとっては大切だと思います。(続)