コラム

「なお神の言葉を響かせ合う⑵」

飯田敏勝

 朝ドラで(見てない人は推測してください)ヘブン先生がトキの語る怪談を、翻訳してもらって聞くのでなく、トキ自身が語る言葉を切に求め続けています。そこで得られる大切な何かがあるのです。

 意味を把握するだけでは、「響き」は生じません。音楽演奏は、原案や背景が分からずとも(分かれば「もっと」かもしれませんが)伝わるものがあります。

 完璧な言葉でなくとも、キリストに従おうとする静岡草深教会員一人一人が、信仰の言葉を、思い切って発する機会を、何とかして増やしていきたいのです。

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 主の日の礼拝は、だれが来てもいいという点で「公け」のものです。わたしたちは人前や公共の場で話したり何かをすることに、たじろぎがちです。プライべートな領域内で、自分勝手に言動をなすほうが、気楽です。

 しかし、わたしたちの信仰は、一人一人の心の内で密かに実感できればいいのではありません。「わたしを救った」信仰は、「あなたをも救う」と、隣人に伝わるものです。そこに生れる共鳴を、教会としては大きくしていかねばなりません。

 更に伝道は、その反響が天にまで届くことで、神さまこそが進めてくださる御業です。

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 具体的にいつどこでどうやって証しをするかは、まだ長老会や3月の全体修養会で話し合わねばなりません。

  しかし草深でも、かつて伝道礼拝では証しもあったと聞いていますし、普段の主日礼拝でも(毎週でないとしても)証しがあれば、求道者の方々に響くものが必ずやあると思います。

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  もう一つの展開として、聖書に親しむためにこれまでも聖書通読会開催などしてきましたが、教会員全員が考えるためにも、聖書協会共同訳に触れる機会を持ちたいと思います。

  10月4日㈰の秋の修養会には、日本聖書協会理事長の石田学先生をお招きします。新しい邦訳に限らず、聖書について何でも質問できる好機ですよ。楽しみにお待ちください。

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 2026年度の聖句、コロサイの信徒への手紙3章16~17節をもう一度ご覧ください。この実現を、身近に図っていきましょう。(終)