コラム
「なお神の言葉を響かせ合う⑴」

飯田敏勝
2026年度の年間主題は、前年度から引き続き「神の言葉を響かせ合う」です。ただし聖句は、コロサイの信徒への手紙3章16~17節に替わりました。
* * *
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。(コロサイ3:16~17)
* * *
かつて修養会を泊りがけで行っていた時分には、大いに聞き、大いに語り合い、主題を深めることができたでしょう。
一方で、昨今の教会行事のスケジュールや教会員の高齢化を考えたとき、単一の主題を複数年度にわたって展開するのが良かろうと判じます。
いや、長老の中からや意欲的な方からは、次の展開を早くしたほうがいいという声も聞きます。しかし全体を見渡したとき、やはりゆっくり繰り返し扱うことで、主題をじっくり深めていけるかと思います。
* * *
具体的な展開として、2026年度からは信徒の証しを重視していきます。
これを提案すると、すぐ「わたしは昔しました」という言い逃れが出てきます。確かに「余は如何にして基督信徒となりし乎」は、一度きりで、その証しはそうそう変わることはないでしょう。
ですが、昨年の長寿祝福の会でK.Tさんが愛唱讃美歌について語られた過去の経緯も、立派な証しの一形態です。好きな聖句や、信仰が深まることになったエピソードを、大袈裟でなくてもいいので、教会の公の集会で語っていただきたいのです。
* * *
人前に出るのは恥ずかしい、ましてや話をするなど緊張する、うまくできないといった思いは、ごもっともです。それでも、皆さんに思い切ってほしいと切に願います。
讃美歌536番「むくいをのぞまで」の歌詞のように、神さまがわたしたちの知り得るところを越えて、わたしたちを用いてくださいます。しかし、そのためにわたしの献げ物を、まず差し出さなければならないのです。(続 )

