コラム

集められ養われ新しくされていく

牧師 飯田啓子

 6月19日清水教会牧師就任式に出席しました。3月だったと記憶していますが、代務の高橋先生に「そう言えば清水教会は2022年度牧師が決まったの?」と尋ねると「國津先生夫妻に決まった」と聞いて、本当に不思議な気持ちが沸き上がって思わず大笑いをしてしまいました。
 この日は憧れの静鉄に乗って清水教会へ。以前から某アニメに登場し、清水から英和に通学していた神学生から話を聞き、駿府教会を訪ねる度に目にしていた電車。日吉町を出発して直ぐ南側に礼拝堂が飛び込んできた時は、嬉しさのあまりスマホ写真でパチリ。愉快で仕方ありませんでした。
 清水教会到着後は、初心者なので礼拝堂の様子や講壇と用具などを色々と拝見。ベンチの座り心地や講壇からの眺めなども体験。初心者丸出しの姿に分区の諸先輩からは笑われましたが、何のその。十分に楽しみました。帰宅してから知りましたが、清水教会の講壇などの礼拝用品は“秋田木工”(通称アキモク・本社湯沢市)の特注品だとか。驚きながら感心しきりでした。
 6月27日は草深を会場にして分区教師会。総勢11名が集まりました。解散後は6名が居残り、牧師室で雑談。真剣な教師会と笑い声が響く雑談。ふと何時もの疑問~今、ここに教会や牧師を全く知らない人が来て、このメンバーを見たら、何集団だと思うのだろうか?が起こりました。バカな話で笑い、真面目な話に感心し、苦労話を笑い飛ばし、失敗談を受け止め合う摩訶不思議な集団。恐らく時間的な制約が無ければ無限に話題が尽きない。
 集まっていることよりも集められていることを何時も考えます。それぞれの求心力が強いからではなく、集める求心力の方が強い。集めてくださる御方がいるからこそです。
 集められた者はこの交わりの中で、集めようとしていた自分が、集められる自分へと変えられていきます。すると祈りの言葉(内容)、考え方、笑いや怒り、泣くツボが変化してくる。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と、言われているように、命と時間を与えてくださった方と共に笑い泣く者とされていく。以前はまさかと半信半疑で自分に閉じこもっていたのに、十字架と復活のキリストに相手にされることで中身が新しくされていく。
 この集められている集団は実に楽しい。この集団を招集してくださっている御方は実に見事である。御心をまさかと笑っていた者が、御心だと笑顔で信じる者にしてくださる。