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神の家

ネヘミヤ記13章10~14節、ヨハネによる福音書2章17節
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神の家

エズラ記とネヘミヤ記は、捕囚から帰還した神の民イスラエルの信仰の復興を描いたものです。復興の道のりは決して平坦なものではありません。一つのことが解決したように見えても、新たに問題が発覚するその繰り返しでした。
 
10:「また、わたしはレビ人に与えられるはずのものが与えられず、務めに着いていたレビ人と詠唱者がそれぞれ自分の耕地に逃げ帰っているのを知った。」レビ人がいなくなったとはどういう事でしょうか。捕囚から帰還した人々は、エルサレムの神殿再建と崩された城壁の修復をしました。人々は、水の門の前の広場に集まって礼拝をささげ、久しく行われなかった律法の朗読(ネヘミヤ8章1~12)が約百年ぶり再開されました。皆に律法の言葉が理解出来るように翻訳し解き明かしをしたのはレビ人たちでした(ネヘミヤ8章9)。あれほど活躍したレビ人たちが、なぜエルサレムからいなくなっていたのでしょうか。

それは、ネヘミヤがエルサレムに不在だったことによるのです。ネヘミヤ不在の理由は、「バビロンの王アルタクセルクスの第三十二年にわたし(ネヘミヤ)は王のもとに行っていたから」(ネヘミヤ13章6節)です。ネヘミヤは、王の献酌官(王の毒味役であり相談役)でした。彼は王から信頼されていたの人でした。彼はエルサレムの悲惨な様子を聞き、王の許しを得て、エルサレムに行き復興に尽力したのです。城壁の再建がなった時には、王のもとを離れて十二年がたっていました。ネヘミヤは、エルサレムの復興の様子を王に報告に行ったのか、何らかの所用で王に呼びだされたのか。理由はともかく、ネヘミヤが十二年ぶりに王のもとに出向きました、その間に神殿の祭司室が私物化されレビ人たちはエルサレムからいなくなりました。

「トビヤに縁のある祭司エリヤシブが神殿の祭司室を任されていた、…穀物のささげものと祭具、またレビ人と詠唱者と門衛のための十分の一穀物と新しいぶどう酒と油、更に祭司のための礼物を納めることになっていた。その祭司室をトビヤのために流用した」(4-5節)。祭司室は、祭具と十分の一のささげものや礼物を納める収納庫です。十分の一のささげものは、神殿で奉仕するレビ人の報酬にあてられることになっていました。「見よ、わたしは、イスラエルでささげられるすべての十分の一をレビの子らに与える。これは彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である。」(民数記18章21~24、申命記14章29、同18章1)。レビ人たちに十分の一が与えられるのは、彼らが神の幕屋の務めに専念するためです。レビ人たちは、嗣業の土地を持ってはならないことになっていました。本来レビ人たちに、与えられるはずの十分の一のささげものがトビヤの為に流用されていたのです。それに便宜を図った人が祭司だった。トビヤとは、どんな人でしょうか。捕囚から帰還した人の中でイスラエルに属することが証明出来なかった人々の中にトビヤがいます(エズラ記2章60節)。彼はエルサレム城壁の再建の工事の時に、執拗に妨害行為を働いたグループの中心人物の一人です。ネヘミヤ不在の間に、祭司室とそこにあったものが流用されていた。レビ人たちが、幕屋の務めを行うことも、正当な報酬も受け取ることもできず、エルサレムから逃げていたのです。聖書の御言葉を取り次いだ人々がいなくなったことは多大な損失でした。

ネヘミヤは、祭司室の流用・私物化を知って憤り、トビヤ家の器具類をすべて外に投げ捨てました。トビアたちは、ネヘミヤがもうエルサレムに戻らないとたかを括っていたのではないかと言われています。十二年たっても忘れないほど王に気に入られている献酌官ならばエルサレムに戻ってくるよりもよほど良い待遇が受けられる。ならばおそらく彼は戻ってこないだろう、帰って来ない方がよい位に思っていたかもしれません。しかし、トビヤたちの予想に反しネヘミヤはエルサレムに帰ってきました。

11節「わたしは、役人を責め、なぜ神殿を見捨てられたままにしておくのかと言った。わたしはレビ人と詠唱者を集め、務めに就かせた。こうしてユダの人々が皆、十分の一の穀物と新しいぶどう酒と油を貯蔵室に持ってきた。」レビ人たちが逃げ出している現状にネヘミヤは激しく抗議しました。祭司室が一部の人たちによっていいように使われたことは、神殿礼拝そのものが私物化されていたということです。「なぜ神殿を見捨てられたままにしておくのか」。人間の手で造った神殿に住まわれないはずの神が、その名をおくと言われた神の約束をなんだと思っているのか。指導者たちの怠慢が、かつてのイスラエルの信仰を堕落させました。捕囚から帰って来たイスラエルが同じ過ちを繰り返すとはどういうことでしょう。神殿が私物化され人間支配に陥っていたこと。それを知っていたはずの指導者たちが見て見ぬ振りをしたことは決して小さいことではないのです。

13「わたしは、祭司シェレムヤ、書記官ツァドク、レビ人ペダヤに貯蔵室の管理を命じ、マタンヤの孫でザクルの子、ハナンを彼らの助手とした。彼らは忠実な人物とされており、仲間に分配する任務が彼らにゆだねられた。」信頼できるものたちの手に神殿のささげものの管理、レビ人への分配を委ねました。
14節「わたしの神よ、それゆえわたしを心に留め、神殿とその務めのために示した、わたしの真心を消し去らないでください。」

ネヘミヤ不在の間に起こった不祥事は、我々の教会の中でも起こりえるのです。トビヤとその仲間たちは、ネヘミヤはエルサレムに戻らないとたかを括って好き放題をしていたのです。わたしたちは、主イエスが再び来たりたもうを待ち望む教会です。教会が、主イエスの帰還を待ち望まなくなったとき、教会は堕落するのです。どんな時も主イエスを待ち望む教会、キリスト者でありたいと思います。 

2021年3月14日 受難節 第4主日礼拝 説教者:堀地敦子牧師