トピックス

主の民に数えられる(音声あり)

民数記1章1〜4節、ルカによる福音書10章20節
お知らせ
主日礼拝説教

音声でお聴きいただけます。

主の民に数えられる

民数記は、英語でNumbersナンバーズ、民を数える書物です。「イスラエルの人々がエジプトの国を出た翌年の第二の月の一日、シナイの荒れ野にいたとき、主は臨在の幕屋でモーセに言われた」イスラエルがエジプトの国を出てきたのは、紀元前1290年ごろといわれます。その翌年第二の月でした。

シナイの荒れ野とは、主がモーセを通してイスラエルに十戒を授けたシナイ山のふもとです。シナイ山の場所は、諸説ありますが、伝統的にはシナイ半島南の方の山でジェベル・ムーサー(標高約2,285㍍)ではないかと言われます。ここには、モーセに関わる伝承を持つ泉や岩が存在します。

主は、臨在の幕屋でモーセに語られました。臨在の幕屋とは、イスラエルが金の子牛をつくって拝んだあの事件の後に造られた礼拝の場です。「モーセは一つの天幕をとって、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。モーセが幕屋に出て行くとき、民は全員起立し自分の天幕の入り口にたって、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。モーセが幕屋に入ると雲の柱が降りてきて、幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、各々自分の天幕(家族ごとの天幕)の入り口で礼拝した」(出エジプト33章7~11節)。このように臨在の幕屋は、主がモーセと語る場です。それだけでなく、主はイスラエルの民全体との交わりを持つ重要な場です。民は、その場所で主はモーセに言われたのです

「イスラエルの共同体全体を数えなさい。部族ごとに、家族ごとに、すべての男子達の名を一人一人点呼し登録しなさい」。主はイスラエルの男子全員の名を登録するようにと命じました。主がモーセに登録をせよと言われたのは男子の名前のみでした。

但し、共同体という言葉は、会衆(民数10章7節)に近い意味を持つ言葉です。例えば事件があった場合、事件を起こした人が、会衆全体の前で公平に裁きを受けられる様に、間違って私的に復讐されて殺されることがないように逃れの町の必要だとます。(民数記35章12、24~25)。イスラエル共同体とは、共に礼拝する信仰の仲間であり、約束の地を共に目指し旅をする人々です。一つの目的のため生死を共にする群れです。

「あなたとアロンは、イスラエルの中から兵役に着くことのできる二十歳以上の者を部隊に組んで登録しなさい。部族ごとに一人ずつ、あなたたちの助けをさせなさい。それは家系の町でなければならない」(3~4節)。この人口調査には、軍事的な意味がありました。主は、人々を部隊に組むように命じています。部隊という言葉はレビ人を幕屋の務めに登録する時にも用いています。(民数記4章23、29)。この調査の結果、登録されたイスラエルの男子は603,550人だった(民数記2章32節)とあります。

人口調査についての記事は、出エジプト記30章11~2も出てきます。但しこの時の人口調査の目的は軍事的な意味とは違います。20歳以上のイスラエルの男子を登録し、登録された男子は、命の贖い金として聖所の銀貨で半シェケルを納める。この贖い金は、臨在の幕屋のために用いられることになっていました。出エジプト記38章26節には、この人口調査で、603,550人が登録され、彼らの納めた金額は、臨在の幕屋建設に使われたといいます。民数記と出エジプト記に書かれた人口調査は、同じ出来事について記したのでしょうか。

主なる神さまは、人口調査を通してイスラエルを外敵から身を守るために備えさせ、また礼拝を守るための幕屋の準備をいち早く命じたのです。

第一回目の人口調査の時に登録されたのは、603,550人でした。この後、イスラエルは荒れ野の旅に出ていきます。この時登録された603,550人は、エジプトを出てきた第一世代です。民数記1章には、第一回の人口調査があり、26章に第二回の人口調査が出てきます。二回目の調査で登録されたのは、601,730人と少し人数が減っています。この二度の人口調査の間に、荒れ野の四十年があるのです。荒れ野の40年とは、イスラエルが主に反逆し続けた歴史です。最初の人口調査で登録された人の中で生き残ったのは、ヨシュアとカレブの二人だけでした。この二人以外は、第二目回の人口調査で登録されたのは,みな第二世代です。エジプトを出てきた時は、まだ幼い子どもだった人たちや、荒れ野で生まれた人たちばかりです。なぜヨシュアとカレブの二人だけが荒れ野を越えて生きて残ったのでしょうか。彼らだけが、主が与える約束の土地に喜んで入っていこうと、全会衆の前で告白したからです。「いったいだれに対して、神は四十年間憤られたのか。罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか。いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。従わなかった者達にではなかったか。」(ヘブライ人への手紙3章17~18)。

イエス・キリストの誕生は、皇帝アウグストゥスの時代の住民登録の時代でした。キリストの両親ヨセフとマリアも、ベツレヘムへ登録に行きました。その旅先で、キリストはだれにも歓迎されることなく、どこの宿屋からも部屋を貸してもらえない中でお生まれになりました。キリストの人生の終わりは、十字架の時もすべての人がこの方を見捨てて行きました。この方は、罪も犯さなかったのに、神の国を人々に示してくださったのです。世の人々は、この方を拒んだのです。正しい人は一人もなく。誰も彼もが神に逆らい、神の遣わした御子を殺したのです。誰にも神の国に入る資格はなかったのです。しかし、神はキリストの犠牲と執り成しの故にわたしたちに神の国の居場所を与えました。それでわたしたちは天の国にその名が登録されています。「あなたがたの名が天にしるされている事を喜びなさい」(ルカ10章20節)

(説教者:堀地敦子牧師)