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神の愛(音声あり)

ホセア書11章1〜4節、ローマの信徒への手紙8章35〜39節
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主日礼拝説教

音声でお聴きいただけます。

神の愛

35:「だれが、キリストの愛からわたしたちを切り離すことができましょう。」一体だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すのか…。

艱難(圧迫)。苦しみ(窮迫)。迫害。飢え。裸。危険か。剣(暴力/戦争で軍事的な暴力をうけること)。」。この世で生きているかぎり、こうしたものはついてきます。こうした圧力が、わたしたちをキリストの愛から遠ざけていくのでしょうか。教会は、色々な時代に迫害にあいました。あるものは、住み慣れた故郷から追放され、あるものは迫害によって命を取られたこともあります。その為に、教会を離れて行く兄弟姉妹たちも確かにいたのです。何か災害などが起こると人々の心が荒廃します。そんな時、人々の不平不満のはけ口にクリスチャンたちが迫害のされることもありました。ローマの大火が起こった(AD64年)ネロ皇帝は、火災はキリスト教徒が放火したと断定し(何の根拠もないのに)、多くのクリスチャンたちが迫害され殺されていきました。

36:「『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』(詩編44編23よりの引用)と書いてあるとおりです。」「死とわたしとはただの一歩です。」主君サウルに命の狙われていた若いダビデがこう言っています。迫害の時代のキリスト者たちもまさに、一日中死と隣り合わせでした。これは単なる昔話ではありません。迫害、軋轢は歴史のかなで繰り返されたのです。

37:「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」迫害され、社会的に不利益を受け、苦しめられても、尚、わたしたちが勝利を収めているのです。その根拠は、わたしたち自身でなく、わたしたちを愛してくださる方、イエス・キリストを使わされた神によるものです。

38:「わたしたちは確信しています。」これは神の勝利への確信です。「死も命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも高い所にいるものも、低いところにいるものも他のどんな被造物もわたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」「命、天使や支配者たち、現在のものも、未来のものも、力あるもの、高い所にいるものも、低いところにいるもの」天使も神に造られたものであり、力を持っている支配者たちも全ては神の被造物です。

我々が最も恐れているのは死です。わたしたちの罪のために死がこの世に入りました。死がわたしたちを愛する者たちから容赦なく引き離します。死は、わたしたちから全てを奪います。現在の幸せも。今日は失敗しても明日があると言いますが。死は明日への望みも、遠い将来の希望も、根こそぎ奪っていきます。「いつかは行かなければならないあの陰府には 仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだから」(コヘレト9章10)。何を計画しても死によって全てが中断されるしかありません。死の力には誰も逆らえないとわたしたちは感じている。「わたしが死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ あなたのまことを告げ知らせるでしょうか」(詩編30編10)。塵から生まれ塵に返る。アダム以来の全ての人間のたどる道です。死んで塵になれば、神に感謝することも神との交わりを望むこともできない。もしキリストが世に来られなかったら、今も我々には何の希望もありません。罪のゆえに滅びるしかないのです。神が我々の滅びを決断なさったとしても、それわたしたちには神に反論もできません。神は、わたしたちを憐れんでくださり、御子を与えてくださいました。

神の独り子キリストが、わたしたちに代わって罪を背負って死なれました。このキリストを復活させた神が、わたしたちを死から命へ移されたのです。キリストの故に「死は勝利に飲み込まれた」といえるのです。キリストよって示された神の愛からわたしたちを引き離すものは何もありません。

主は死人の中からよみがえり、わたしたちのために神の右におられます。全てのものは、主イエス・キリストの支配下にあります。この方は、生けるものも死せるものを裁くため再び来られます。主が再び世に来られる日が救いの完成です。その日が来るまで、この世で苦難があります。しかし、キリストの内にあるものにとってその苦しみは決して無駄ではありません。「わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」(コリント二4章11)。だから今は恵みの時なのです。

2020年6月28日 聖霊降臨節 第5主日礼拝 説教者:堀地敦子牧師