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わたしたちの間に

ネヘミヤ記13章23~31節、コリントの信徒への手紙二6章14~18節
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主日礼拝説教

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わたしたちの間に

エルサレム神殿の再建と城壁の修復が終わり、神殿礼拝が再開され、律法の言葉が朗読が再開、レビ人たちによって翻訳され皆に分かるように聖書の解き明かしがなされました。目に見える神殿の再建、町を外敵から防御するために建てられた城壁の修繕など目に見える復興がなったときイスラエルに慢心があったのでしょうか。異変が起こりました。

それは、ネヘミヤが、エルサレムを留守にしなくてはならなくなった時に起こりました。一つ目は、祭司室が私物化されたこと。それを手引きしたのは、祭司エルヤシブでした。二つ目は、レビ人がエルサレムから逃げ出したこと。祭司室が私物化されたことで、レビ人たちは神殿の務めからはずされ、手当も受けられずエルサレムから追われるように故郷で畑を耕して暮らしていた。おそらく、神殿礼拝での律法の解き明かしも行われなくなっていました。

三つ目は、安息日律法が破られたことです。安息日にユダの人々が酒ぶねでぶどうを踏み、ぶどう酒作りが行われていました。また、外国人たちがやってきて安息日にエルサレムで商売を始めました。すなわち安息日に労働と経済活動が行われていたのです。安息日が守られる意味は、二つあります。一つは天地創造の秩序が守られること。神が六日で天地を創造し七日目に休まれたからです。「あなたも、息子も娘も男女の奴隷も…すべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々もどうようである。あなたはかつてエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕をのばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない」

四つめは、異民族の人々との結婚です。「そのころ、ユダの人々がアシュドド人やアンモン人やモアブ人の女と結婚していることが、わたしに分かった。」(23節)。「おまえたちの娘を彼らの息子の嫁にしてはならない、彼らの娘をおまえたちの息子の嫁にしてはならない」(25節)。イスラエル人が、異民族と結婚することは律法で禁じられていました。それは、自国主義やユダヤ民族主義ではありません。信仰の問題です。

ネヘミヤが驚愕したのは、異民族との結婚によって生まれた子供たちへの影響です。「その子供達の半数が、それぞれの民族の言葉を話し、ユダの言葉を知らなかった」(24節)。このことは、何を意味するのでしょうか。それは、子供達が聖書の原語であるユダの言葉を知らなかったということであり、親たちが子供に聖書を教えていなかったということです。異民族と結婚したユダの人々は、外国人の妻や夫に気を遣うあまり子供に聖書教育をしなかったのです。これは信仰継承の問題です。

イスラエルの王ソロモンも同じ過ちを犯しました。ソロモンは、イスラエル王国で最も偉大な王と言われています。「諸国の中でも彼のような王はおらず」といわれるように彼のように優れた王は世界の国々のどこにも居ませんでした。ソロモンの時代がイスラエル王国の最盛期でした。ソロモンの父ダビデ王の時代までは、イスラエルは弱小国で、ペリシテなど周辺の国々の侵略に脅かされてきました。エルサレム神殿もありませんでした。やがて神がイスラエルの敵を退けて下さったので、イスラエル王国は徐々に安定しました。ソロモンがダビデ王の後を継いで王になった時、彼は正しい政治、公正な裁きを行う知恵を神に求めました。神は、その願いを聞きいれました。それで、ソロモンは世界中のどの王にもまさる優れた王になれたのです。外国の名だたる知恵者や指導者たち、シバの女王なども、ソロモンに知恵を教わりに来ました。そのソロモンが躓いたのは、外国人の妻たちと婚姻したためです。ソロモンは、外国人の妻に追随するように偶像を拝むようになりました。神は何度もソロモンを諫めて偶像礼拝を止めさせようとしました。しかし、ソロモンは神の戒めを聞き入れませんでした。ソロモンは、外国人の王や指導者たちと姻戚関係になることでイスラエルの国を強くするつもりでした。しかし、ソロモンが行ったことはイスラエルの分裂につながったのです。

バビロン捕集から帰還したイスラエルは、ネヘミヤの宗教改革が少し進んだと思った矢先、ユダの人々が外国人と婚姻関係を結び、そこで生まれた子供たちの半数はユダの言葉が分からず、聖書の言葉も知らなかったのです。

神は、モーセの時からイスラエルの子供達に聖書の言葉を繰り返し教えるように言われてきました。寝ているときも起きているときも、聖書の御言葉を繰り返し教え、御言葉を手に結び額に結び、家の柱や鴨居に御言葉を書き記すようと主は言っています(申命記6章7~9)。また、歴代のイスラエルの王の中には、国民に聖書を教えることによって改革を進めた王もいます(歴代誌17章7~9:ヨシャファト)。

後の教会も子供たちへの御言葉の教育に力を入れ、教会全体を改革しました。例えば、イギリスで始まった日曜学校は聖書を通して青少年たちに読み書きを教えました。産業革命によって、農村を出て工場で働くようになった青少年たちの多くは読み書きが出来ませんでした。というのは、当時は義務教育が行われていなかったためです。働く青少年たちは長時間の労働で疲弊し、生活も荒れて、飲酒に溺れる者たちもいました。そのような青少年たちを見かねた教会の信徒が、彼らに生きる力を与えるために一般教育や宗教教育を行ったのが日曜学校の始まりです。少年たちに読み書きを覚えさせるために使われたのが聖書だったのです。日曜学校運動は、後の義務教育につながったといわれています(義務教育の導入は19世紀後半)。

ある時代日本の教会で宣教師を中心に英語の聖書を教えるバイブルクラスがさかんに行われていました。バイブルクラスから多くの青少年たちが洗礼を受けたといわれています。今の教会は、御言葉をおろそかにしていないでしょうか。家で聖書を読まないキリスト者たち、御言葉以外に救いを求める教会が増えているのではないでしょうか。

「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」(マルコ7章8節)と主イエスは、ファリサイ派の人々や律法学者たちに言われました。これは、現代のわたしたちにも言われるべきことかもしれません。教会は、人々に御言葉を熱心に教える時に固く建ち、御言葉をおろそかにする時に教会は弱り倒れていくのです。問題は、聖書の御言葉に建つ信仰の問題です。キリストが来られた後の教会にはユダヤ人だけでなく、異邦人たちも入ってきました。異邦人だけの教会も増えてゆきました。パウロは言っています。信者でない伴侶が、共にいることを望んでいるなら離婚してはいけない。しかし、信徒でない伴侶が離れて行く時は彼らを追いかけるなと、パウロは言います。(コリント一7章12~15)。「正義と不法にどんなかかわりがありますか。光と闇に…キリストとベリアルにどんな調和がありますか」(コリント二6章14~15節)といわれるように、信仰においては妥協すべきではないです。

31節「主よわたしを御心にとめ、お恵みください」このネヘミヤの祈りでネヘミヤ記は閉じています。ネヘミヤの三度祈りのは「御心にとめて」いただくことです(13章14、21節、31節)。これは、イエスと共に十字架にかかった一人の罪人の祈りを思わせます。「御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。信仰の薄いわたしたちでも、主イエスの御心にとめていただけるように、恵みと憐れみを祈りましょう。

2021年3月21日 受難節 第5主日礼拝 説教者:堀地敦子牧師